シカマルは家の戸をガラリと開け、 「ただいまー…」 といかにもめんどうくさげに言った。 黙って帰ると「ただいまくらい言いなさい!」と母・ヨシノがうるさいからだ。 ところが。 「しぃぃぃぃーー!」 当のヨシノがいきなり居間から顔を出した。唇に人差し指を当て、目を吊り上げている。 「…なんだよ」 その声のほうがうるせーぞ、と内心思いながら靴を脱ぐと、土間にもうひとつ靴がそろえてあるのが目に入った。華奢な造りの忍靴。テマリのだ。 少し前に、長くなりそうな任務へ行くと聞いていたが、終えて来たのだろうか。 居間に入ると、ヨシノが茶を淹れているところだった。急須をかたむけながら、視線を窓辺の方へ送る。それを追うと、テーブルにうつ伏せてテマリが眠っていた。枕にした腕の下には本が広げてあるところを見ると、読んでいる途中で寝入ってしまったらしい。 「調べものがあって、任務終わった後すぐに来たんですって。疲れてるのねぇ…」 ヨシノの眉が心配そうに下がる。 シカマルはテマリの向かい側に腰掛けた。 「ああ、何か長い任務があるって言ってたからな。砂は人手が足りなくて大変なんだろ」 淡々と言いながら、彼はテマリから目が離せなかった。五分袖からのぞく肘と、頭をのせていない方の手首に包帯を巻いている。また、ケガをしたのだ。 得意とする武器と術の特性上、テマリは最前線へ出ざるをえない。当然、ケガをする頻度も高かった。S、Aあたりの任務へ行くという話を聞いた後には、たいてい今回のように包帯を巻いたり絆創膏を貼ったりしてやって来るのが常だ。 「この子、手を抜くってことを知らなそうだから、頑張りすぎてるんじゃないかしら」 テマリが薬学を習いにちょくちょく家へ来るようになって、ヨシノは彼女を気に入っているようだった。物事をきっちりさせなければ気が済まず、無駄な時間を嫌う。たしかに二人はよく似ている。 「…・……さ…ぁ」 ふいに、小さな声がした。 「あら、寝言かしら」 ヨシノは笑って、テーブルの方に寄る。シカマルも思わず向かい側へ身を乗り出した。 「……かあ、さま…」 ―――母様。 子供っぽい、小さな声。細く消えゆく、哀しいひびき。 聞いたふたりは、思わず息を呑む。 「この子のお母さんってたしか…」 表情から笑みを消したヨシノがシカマルを見て問うた。 「こいつが三つの時、死んだって聞いてる」 そう答えて、シカマルは唇を引き結ぶ。ヨシノは胸元に手をやり、ぎゅっと衿を掴んだ。 「さみしいときがあるのね、きっと。今でも…」 そしてもう片方の手で、テマリの頭をそっと撫でる。 彼女は手練れだ。任務で傷を負っても、深手は少ない。包帯を巻き、絆創膏を貼っていれば、いつかは治ってしまうものばかり。 だが…心に、癒すことのできない大きな傷跡を隠している。 シカマルには、見える気がした。弟たちの方がかわいそうだから、泣いちゃダメ。そう思って、悲しみをまぎらわすこともできない、小さな女の子。その子がまだ、彼女の中にいる。 普段はおくびにも出さず、冷徹にさえ見えるけれど。 「そっとしとこうね、しばらく」 ヨシノはそう言って、もう一度テマリの頭を撫でた。 「……わっ」 急にテマリは目を開け、かばっと頭を起こす。 周囲は茜色に変わった夕陽に照らされている。 「よぉ、おはよ」 寝起きでかすむ目をこすると、向かいにシカマルが座っていた。肘をついて顎を乗せ、詰め将棋をしていたようだ。テーブルの上には薄い盤といくつかの駒が置いてある。 「すまない。寝てしまった」 テマリは何となく謝ってしまう。 「ヨダレついてる」 「なにっ」 シカマルが頬を指差すので、テマリは焦って手の甲でぬぐった。が、べつに湿ってもいない。 「・・・・・・!」 「意外と単純な手にひっかかるな、おまえ」 シカマルは楽しそうに笑う。テマリはムッとして頬を膨らまし、広げたままだった本を閉じて立ち上がった。 「…帰る。邪魔したな」 彼女はからかわれるのが苦手だ。生来の真面目さゆえに、冗談を笑って受け流すことができない。 「待てよ。寝ぼすけ」 シカマルは笑ったまま見上げる。 「なんだ」 テマリはまだ不機嫌そうにしている。 「今、母ちゃんが夕飯の買い物に行っててよ、お前の分も作るんだと。だから待ってろ」 「い、いいよ、そんなの。申し訳ないから、私は帰る」 人の親切も彼女は苦手だ。愛想なんかふりまけないから。 「待て!」 シカマルは鋭く言い放つ。テマリはびくっとして動きを止める。 「……お前な、ウチの母ちゃんめちゃめちゃ怖ェんだぞ。逆らわない方がいいぞ」 めずらしく目が真剣だ。その時。 ぐぅ。く…ぅ。 鎮まった部屋に、テマリのお腹の音が響いた。 「…………」 「…………」 テマリの顔が、みるみる真っ赤になる。 シカマルは笑わず、 「座ってろ」 と、椅子を指差して言った。テマリはぎくしゃくした動作で椅子の傍へ戻り、素直にすとんと座った。 隣の家からは、すでに煮物らしい夕餉の匂いがただよってくる。 「さてと、じゃ…」 シカマルは盤上に転がった"桂馬"の駒を中指と人差し指の間に挟み、テマリに突き付けた。 「晩飯待つあいだ、一局いきますか」 口角をにっと上げて、挑戦的な笑み。 テマリはそれをぱっと取り、 「望むところですよ」 と、袖をまくった。 我愛羅もカンクロウも大変だっただろうけど、テマリは長女なので、いろいろと我慢したことも多かっただろうな、と思います。 この話は、私のテマリのイメージが凝縮されたものになりました。頑なで、無愛想だけど、繊細なところを隠し持っている、みたいな。うすうす気づいては いたものの、シカマルはそれを確信したようです。 あとは、母者の名前が分かったので、ヨシノさんを出したかっただけだったり(笑)。ヨシノさん大好き! |