24 : 「 バイバイ 」





「帰って…来ない…?」
 シカマルは思わず、目の前の人物の言葉を反芻した。
夕暮れの濃くなった木ノ葉の里。大きなカラクリ人形を背負ったカンクロウは、視線を逸らしてうなずく。
テマリは、もうふた月以上姿を見せていなかった。半月ほど前に開かれた国境警備の会議に、砂の里の使いとして出席すると話していたが、やって来たのはカンクロウで、会議が終わるや否や帰ってしまったのだ。サスケの奪還任務で知り合ってから、シカマルの顔を見れば挨拶くらいは交わしていたというのに。
そして、今日。カンクロウはまた木ノ葉へ現れた。会議などは予定されていない。隠密に火影を訪ねて来たようだ。もし、シカマルが任務資料の受け取りに本部へ行かなかったら、見逃していたに違いない。
 嫌な、予感がした。
だから、そっとカンクロウの後をつけ、人通りのない木ノ葉の外門を出るところで声をかけたのだ。

「三週間前、テマリは大名の息子の外遊の警備についた。そいつは三男坊でノンキな若さんだったし、行き先も雨隠れの里だったから、先方も危ない事は無いだろうって話だった。だから、テマリは中忍二人だけを連れて任務に行った」
 ところが。
その帰り道、雨隠れの里の首脳部に反発する一党から襲撃を受けたのだという。風の国の大名との間に亀裂を入れようというわけだ。
雨隠れの忍達が行く手を遮るために大量の水を降らせる中、テマリは中忍ふたりに大名の息子と側近を託し、ただ一人、敵の前に立ちはだかった。
振り返るなと彼女にきつく言われていたが、それでもたった一度中忍達が背後を見ると、テマリは扇を大きくかざしてカマイタチの術を発動させたところだったという。
中忍に守られた一行は無事にその場を脱し、依頼者を居城まで送り届けることに成功した。
 そして、テマリは帰ってこなかった。
「…消息は、まったく掴めないのか」
カンクロウの横顔に問いかける。
「雨隠れの里の首脳部が陰謀に気づいて追って来た時、叛徒たちは倒れ伏してた。でも、テマリはそこにいなかった。ただ、扇を引きずった跡と…」
彼は一度、唇を引き結んだ。
「……血だまりがあったそうだ」
「なっ…」
シカマルが息をのむ。見てもいないのに、頭の中にありありとその場の光景が浮かんでくる。テマリはいつもと少しも変わらぬ冷静な表情で、豪雨の術と術者たちをカマイタチで吹き飛ばし、その時の状況を分析したに違いない。どれだけの時間踏みとどまれば、依頼者を安全なところまで逃がすことができるか。それにはどんな戦術が有効か。
「オレも、我愛羅…風影も、テマリが死んだとは思っていない。だからできるかぎりの人数を割いて探させてる。今日は…哨戒任務をする木ノ葉の忍が何か見つけたら知らせてほしい、と火影様に頼みに来た」
いつもの口癖はなりをひそめ、カンクロウは低い苦しげな声音だった。
「そうか…」
シカマルは足元に長く伸びた、二つの長い影に目を落とす。
「悪いが、オレは帰らなきゃならない」
そう言って、カンクロウはカラクリ人形を担ぎ直した。
「急いでるのに、呼び止めてすまなかったな」
もう歩き出している背中に言う。砂の里は大変な騒ぎになっているに違いない。
「いや、いいんだ…。おまえには、言うかどうか迷っていたから」
カンクロウは一度視線を落とし、
「何か分かったら連絡する」
と、シカマルを真っ直ぐ見て言った。



 カンクロウの小さくなっていく後ろ姿が、扇を背負ったテマリのそれと重なる。 この前も、外門まで彼女を見送りに来た。
あれはもう、ふた月以上も前になるのか。
『気をつけて帰れよ』
『ああ。じゃあな。バイバイ』
ぱたぱたと小さく振られる手。かすかにほほえむ唇。自分でも驚くほど鮮明に覚えている。 
『バイバイ』…・と。
あれが、最後の別れなんて耐えられない。
家に帰る道へ引き返しながら、シカマルの記憶はさらに前へ遡る。
 あの、大木が茂る森の中での戦い。
チャクラ切れの自覚。胸元に迫るクナイ。万策は尽きて、影真似の術が解ける、と分かった瞬間、テマリの起こした疾風が絶望を薙ぎはらった。自分は彼女に救われたのだ。
それなのに、とシカマルは唇を噛む。
テマリの危機に、なにもできなかったのが歯痒い。もちろん、自分とテマリは住む里が違うのだから、前のように要請でもない限り手を貸すことはできないと分かっている。それでも、理屈を越えた部分でくやしかった。
彼女はたったひとりだったのだ。豪雨の中、多勢と対峙して、心の内に湧き上がる恐怖をねじ伏せて。ただ一心に自分の力を信じて。
シカマルは足を止め、薄紫に変わってゆく夕焼け空を見上げる。
 おい、どこ行っちまったんだよ…。おまえは強い女じゃねェか。こんくらいの事でくたばったりしないはずだろ…?
かすかに息づく可能性にすがるように、シカマルは呼びかけた。



 さらに、五日が経った。
何の音沙汰もないことで、不安に絞めつけられる心を隠して、シカマルはいつも通り任務をこなしていた。むしろ、普段より集中している。
 おまえの言う「精神訓練」ってやつ、オレ、少しは出来てるってことか…。
ただ、本心を逸らすことはできない。とにかく何かしている方が楽だった。こんなことは初めてだ。今までは、できるだけぼーっとした時間が欲しいと思ってきたのに。今はそれが苦痛でしかない。

 今日の日帰り任務の報告を本部で終えたシカマルは、夜更けに家へ帰った。両親はすでにやすんでいるらしく、家の中はしんと静まり返っている。 居間のテーブルの上に用意された夕食に手をつける気はせず、冷蔵庫から茶の瓶を取り出した。そのまま口をつけると、冷たい流れが胸に凍みる。
 その時。
何か音が聞こえて、シカマルは慌てて瓶を口から下ろした。耳を澄ます。
コツ、コツ。小さな音。二階からほんのかすかに響く。
しかし、それがすぐに何の音なのか判って、シカマルは階段を一段とばしで上がり、自分の部屋へ飛び込んだ。
ガラスの窓枠の外に、ちょこんと止まる小鳥の影。鍵を上げるのももどかしく窓を開くと、それはぴょいと跳ねてシカマルの腕に止まった。淡い砂色の体で頭のてっぺんは青。首周りに細い朱色の模様。テマリが伝書遣いとしてかわいがっているサザイという鳥だ。用のある時、彼女の代わりに何度もここへ来た。
 今日も、細い足に小さな筒を結びつけている。途端に、シカマルの心音がどくん、と大きく脈打つ。
『何か分かったら連絡する』
果たして、どんな知らせだろう。サザイの足から筒を抜く手が、汗ばんでふるえる。堅く丸められた紙を取り出してから、シカマルは一旦、忍服の腿で手の平を拭いた。荷を下ろしたサザイは、いつものように彼の肩に飛び乗る。
紙の端を親指で押さえ、ゆっくりと引き伸ばす。いつもは小さく几帳面な字で用件が書いてあるのだが、今日はカタカナだけの大きな字だった。

ブジ キカン  テマリ

たった、八文字。でも、たぶん本人の書いたもの。
無事、帰還……。
シカマルは思わず、窓のそばのベッドへがばっと突っ伏した。体から力が抜けたのだ。急に止まり所をなくしたサザイが、ぱたぱたと羽ばたいて慌てる。
「はぁ〜〜」
筒を手にしてから、ずっと溜めこんでいた肺の空気を全部吐き出す。
どんな事情があったのか分からないが、とにかく無事ならいい。人から聞くより、本人がこうやって伝えてくれたことが、いっそう実感を湧かせて嬉しかった。
シカマルはシーツから顔を上げて、枕の上に止まっているサザイを見る。
「良かったな。おまえもうれしいか?」
そう言って指を差し出すと、サザイはひょいと頭の上に乗ってきた。はははっと、めずらしくシカマルは声を上げて笑った。



 人間なんて欲ばりなものだ。無事だと思えば会いたくなる。
しかし、シカマルももう中忍。予定表を見ると、木ノ葉と砂を往復するような休みは当分とれそうになく、焦っていた。
もちろん、生死不明の時より気持ちは楽だったが。
そんな時、タイミング良く火影の使者として砂の里へ行く急務が入った。何か火影の作為があるような気もしたが、堂々と砂の里へ行けるならいいと思って、あまり勘ぐるのは止めた。

 砂の里は特有の強い風が街を吹き抜けていた。シカマルは舞い飛ぶ砂に閉口させられるが、すれ違う里の人々は気にするふうもなく、最初にここを訪れた時より確実に活気があふれて見える。
普段、テマリが木ノ葉へ来ることのほうが圧倒的に多いので、シカマルはこの街に慣れていない。前回来た道を思い出しつつ、風影の屋敷へ向かった。
火影からの親書を開いて目を通した我愛羅は、その文末に何かさらさらと書き込み、袖机から一本の巻物を取り出して両方をシカマルに差し出す。すっかり風影としての務めに馴れた様子だった。
「これを、火影に渡してくれ」
「はい」
シカマルは礼儀正しく手を揃えて受け取る。
 風影の部屋を辞したら、テマリを探すつもりだった。今日はカンクロウの姿が見えないし、風影である我愛羅にたずねるのはなんとなく気が引けたからだ。おそらくまだ病院に居るだろう。病院なら、里人に訊けば分かる。
「では、失礼します」
預かり物を腰の鞄にしまったシカマルは深く一礼し、踵を返して扉の前へ向かった。その時、
「おい」
背後から、我愛羅が呼び止める。シカマルが首だけねじって振り返ると、我愛羅は執務机の上に肘をついて口を曲げていた。その顔に、さっきまでの風影としての威厳はない。拗ねた子供のようだ。
「何ですか?」
怪訝に思ったが、一応シカマルは敬語をくずさずに訊き返す。
「………この下の、南端の部屋にいる」
そう言って我愛羅はぷいと横を向き、下を指差した。一瞬彼の言う意味が分からなかったシカマルは、それがテマリのことなのだと気づいてはっとする。
「ありがとうございます」
シカマルは我愛羅の横顔に会釈したが、彼は憮然とした面持ちのままだった。



今までシカマルはこの建物の中で、風影の執務室と重要な集まりに使われる会議室以外へ行ったことがなかった。特に二階は風影一家の居住スペースになっていて、砂の里の忍にも遠慮があるようだ。
階段と二階の部屋を隔てる扉を開けると、白い漆喰で壁を塗った長い廊下があった。ところどころに色糸を組み合わせて拵えた壁掛けが飾ってあり、他の階とは違う私的な空間の雰囲気が漂う。
人気はなく、直接風が抜けない造りにしてあるのか、乾いたゆるやかな風だけが吹いている。
 シカマルは教えられた通り、南の端まで歩いていった。
他の部屋より大きめの扉を、コンコン、と二回ノックする。しかし、応えはない。もう一度、ノック。やはり応えがない。部屋を間違えたかなと思いながら、シカマルはノブに手をかけ、そっと引いてみた。 視界に現れたのは、広い部屋だった。窓がいくつもあり、遮光の簾が下ろされている。その中央に置かれた大きなベッドに、人影が見えた。
足音を立てないように、そっと近寄る。白いシーツと上掛けに包まれて、テマリが眠っていた。枕元には点滴用のパックが金具に吊され、衣からわずかにのぞく肩には包帯が巻かれているのが分かる。左頬に貼られた大きなガーゼが痛々しい。
でも、生きてる、とシカマルは思った。確かに、ここに生きている。
「はぁ……」
彼は口元をほころばせてため息をつき、枕元にひとつ置かれた椅子へ腰を下ろす。膝の上に肘を立てて、起きるのを待とう、と思った時、テマリの睫毛がぴくりと動いた。一度眉根がきゅっと寄り、ゆっくりとまぶたが開かれる。久しぶりに見る緑の瞳。それが人の気配を察して、シカマルの方へ向けられる。
「…あ…れ…」
唇が、小さく言葉を紡いだ。
「なんで、おまえがここにいるんだ…?」
「任務で、風影のとこへ来たんだ。だから寄ってみた」
シカマルは上の階を指差して答える。
「ああ、そうか…」
そう言ってテマリは、身を起こした。
「お、おい。大丈夫なのかよ」
シカマルはあわてて手を貸そうとするが、テマリはさっさと自分で枕を背に当て、楽な姿勢を作ってしまった。
「忍なんだ。このくらのケガはあるさ」
彼女らしく平然とした顔だ。さすがに「任務に犠牲はつきもの」と言うだけある。しかし、安否不明の状態に苦しめられたシカマルとしては複雑な気分だった。
「…もう、大丈夫なのか?」
「ああ。医療班ががんばってくれたからな」
そう言った後、テマリは大体の事情を説明してくれた。
 最初に襲撃してきた一隊を撃退した後、彼女は依頼者達を追おうとした。しかし、傷を負っていた為、後続の部隊があった場合に備えて川の方へ逃げた。血の匂いをたどられると、依頼者に危険が及ぶからだ。かなりの距離、川の浅瀬を歩いたが、途中で力尽きて流されてしまった。その途中、運良く川縁に畑を持つ農家の老人夫婦に助けられ、そこで看病されていたのだという。
「チャクラも無くて、傷が化膿して熱があったからな…ずーっと夢うつつの感じで寝てたんだ。気がついたらものすごく日が経ってて驚いたよ。いい人に助けられて幸運だった」
テマリは苦笑して右肩に手をやった。あっさりした口調だが、内容はすさまじい。
「心配してくれてたんだろ。カンクロウから聞いたよ。連絡が遅れてすまなかったな」
緑の瞳が、真っ直ぐにシカマルを見る。その痛む右手で手紙を書き、サザイに託してくれたのだと思うとうれしかった。
「ああ、それは気にすんな。無事でよかったな…ってあんまし無事じゃねェか」
顔を合わせて笑う。
シカマルの胸は重くなった。まだすこし青ざめているテマリの笑顔を見ていると、こんなふうに笑いたいんじゃない。もっと違うことを言いたいのにと、もどかしくなる。
いつか、彼女がもっと困難な任務につくことがあったなら。
テマリはきっとまた、自分の命を賭すだろう。それが砂の里のためならば、何のためらいもなく。
それが悪いと思っているわけではない。信じるもののためにひたすら一途な、そんな彼女だから…好き、なのだ。
だからこそ、自分をたいせつにしてほしいと思う。その月並みな言葉を、どうしても口にすることができない。
「んん?どうした、奈良シカマル。黙りこくって。気分でも悪いのか?」
気がつくと、テマリが身を乗り出してシカマルの顔をのぞき込んでいた。頬に当てたガーゼの白さが目を刺す。
 人の心配してる場合か!
胸の中でそうつぶやくと同時に、シカマルはテマリを抱き寄せていた。肩を両腕で覆い、下ろした髪に顔を寄せる。消毒液と甘い薬の匂いが、彼の鼻をくすぐった。
突然のことだったが、何となくテマリは抗えない。その瞬間はびくりとしたが、シカマルの腕の中に包まれると、おとなしくじっとして、彼の体温であたためられるままにされていた。
 しばらくして、
「…いたい…ぞ」
本当は痛くなんかなかったが、ものすごく恥ずかしいような気がして、彼女は言ってみた。
「…そうか。すまん」
シカマルはそう答えたが、もうちょっとこうしていよう、と思った。




end





 かなりシリアスになってしまいましたが(特に前半)、死にネタとかじゃないのでよかったでしょうか。
忍ってものすごく大変そうな仕事ですが、砂の里ってさらに人手が少ないから任務の割り当てキツそうですよね。でもテマリは里のためにがんばっているだろうと思って 書き始めました。住む里が違うというのは、この二人にとってけっこう重いことなんじゃないかなぁという気がします。
 カンクロウは最初、ちゃんとセリフに「〜じゃん」って入ってたんですが、そこだけズッコケ(古ッ)になるのでやめました…。我愛羅はですね、いろいろ複雑な気持ちのようです(笑)。 テマリに自覚はないようだけど、まだ痛む手で手紙を書いてるのを見てると、しょーがないけど会わせて やろうかな、みたいに。
 いつもに増して長編な上、妄想激しくてすんません!




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