木ノ葉病院の中庭から見上げる長方形の空は、ふだんと変わらず平和に澄んでいる。 涙の跡で目尻がひりつくのにもかまわず、シカマルはそれを見上げていた。 『傷つくのが、怖いのか』 テマリの言葉が、何度も胸の裡でこだまする。 治療を受けている仲間と消息不明だったナルトのことで頭がいっぱいで、全く無防備だったシカマルの心に、錐の如く突き刺さってきた言葉。 見透かされていた。どんなに冷静な分析家を気取っていても、ひどく臆病であることを。 あの笑顔に、一瞬魅了されたのに。彼女の秘された内面に触れた気がして、驚いたのに。やはり一筋縄ではいかない相手だった。 不覚にも泣いちまったし……。なんつーかもう、会わせる顔がねェな。ああ、カッコ悪ィ。 シカマルは視線を中庭の芝生へ下ろし、ため息をつく。 「おい」 ふいに、背後で声がした。振り向かなくても、声の主が分かる。 今、会わせる顔がねェって思ったとこなのによ……。 自分とテマリ両方の間の悪さにうんざりして、シカマルは隣に並んできた彼女を見た。視線の少し上に、複雑な表情をしたテマリの顔がある。怒っているようにも、困っているようにも見える。 「…なんだよ」 どうしようもなくて、不機嫌になる声。泣き顔を見られたことが恥ずかしくて、でもそれを素直には言えなくて。 テマリはすぐに、口を開かなかった。すこしの静寂が流れる。 もう涙は乾きかけていたが、無意識にシカマルは手首の内側で目尻をこすった。二度ごしっとすり上げた時、ぐっとテマリの指がシカマルの腕を握る。 驚いて彼がテマリを見ると、彼女の顔は真剣だった。 「こすらないほうがいい。赤みが引かなくなるぞ」 そう言って、手を離す。シカマルは意外な言葉に驚いた。 こんなヤツでも、泣くんだな……。 それは至極当たり前のことだが、どうも彼女の印象とちぐはぐに思える。 しかし、よく考えれば、母親はいないようだし、父親は殺されたらしいし、弟はとんでもない化け物に憑かれてるという話だ。泣きたい時など山ほどあったに違いない。たぶん、泣いたのだろう。誰にも知られないところで。だから泣いた跡を残さない方法を知っているのだ。 シカマルの『忍に向いていない』なんて言葉は、苦渋に満ちた生き方をしてきたテマリに、鼻で笑われてもおかしくなかったのかもしれない。でも彼女はそうしなかった。ただ真っ正面からその言葉を受け止め、『傷つくのが、怖いのか』と、ただ問うた。 さらに自分の子供っぽさが身に沁みて、シカマルは肩を落とす。 隣では、テマリが腰に下げた袋に手をやり、何か探している。底の方を探り、やっと小さな麻袋を取り出す。蝶々結びにした臙脂の紐をほどいて、中へ指を入れた。そして、 「手、出せ」 とシカマルに言う。何だかよく分からないうちに彼が掌を差し出すと、テマリは指で摘んだ丸い玉を真ん中へちょこんと乗せた。 「なんだコレ…?」 シカマルは掌を顔に近づける。それは透き通った淡い琥珀色をしていた。 「飴だよ、飴。疲れがとれるから食え」 テマリは自分も口の中にひとつ放りこみ、また丁寧に紐を結んで麻袋を仕舞う。 しかしシカマルはまだそれを見つめていた。彼の知っている飴は青とか橙とか、もっと色彩豊かで果物の香りがするのに。これはなんだか地味な色でくすんだ香りだ。 「毒なんか入ってないぞ。私だって食べてんだから、ほら」 そう言って、テマリは舌先に飴をのせてシカマルに見せる。あまりにも率直で子供みたいな仕草がおかしく、シカマルはつい笑ってしまった。そのままぽいと飴を口にふくむ。 味も変わっていた。ショウガの香りが鼻に抜け、ぴりっとした辛みが舌を刺す。そして、ふんわりと広がる甘み。 「お。こんなの初めてだけど、美味いかも」 ただ甘ったるいだけの飴とは違い、すっきりとしている。 「そうだろう。うちの里の長老が作ってくれたんだ」 テマリは満足げにほほえんだ。 口の中で飴を転がしながら、二人は申し合わせたように頭上の青空を見上げた。さっきよりは雲が増え、ゆっくりと流れていく様がいっそうのどかに見える。 「……悪かったな」 急に、テマリが口を開いた。シカマルはちらっと彼女の横顔に目をやる。 「私には思いやりというものが足りないらしい。思ったことをすぐ口に出してしまう。おまえのつらい気持ちも、少しは汲むべきだった」 さっき声をかけてきた時と同じように、怒ったような困ったような顔。テマリがここへ来て、本当に言いたかったのはこれなんだと分かる。 彼女なりの、ぎこちない謝罪。 「謝るなよ。情けねェこと言ったのはオレなんだから。おまけにみっともねーとこ見せちまったし」 シカマルは苦笑いを返した。テマリが、こちらを見る。彼につられて笑ったようだったが、それは笑顔になる寸前で止まった。 「泣けるのは、いいことだ。たぶん」 桜色の唇が、ゆっくりと動く。大人びて見える表情に、シカマルは目が離せなくなる。 「……悲しみに、麻痺してしまうよりは」 小さな声で、テマリがつづけた。 細くなる語尾をかき消すように、中庭に吹いてきた風が二人の間を抜けていく。テマリの前髪が舞い、緑の瞳を隠す。 風が止んだ時、彼女の表情は元のきりりとしたものに戻っていた。シカマルはなぜか安心する。今また、彼は垣間見たのだ。テマリが冷徹な盾の内側に隠す、繊細な一面を。 「あー、なんだ、その…」 シカマルは言葉を探し出すように口ごもる。舌の上では、まだ小さな飴玉が遊んでいた。テマリは不思議そうに、慌てた彼を見る。 「お前、甘いもんとか好きなのか?」 「…好きだが」 テマリが軽くうなずく。 「よし、じゃ、チョウジ達が目覚ますまで時間があるから、団子でもおごってやる。美味いとこがあんだ」 そう言ってシカマルは病院の外を指差し、テマリを誘った。団子と聞いて、彼女はにこりとほほえむ。シカマルの苦し紛れの作戦は功を奏したようだ。 「甘栗もあるか?」 歩き出すシカマルに、テマリが並ぶ。 「たしかあったと思うが……“も”ってなんだよ。そっちもおごらせる気か」 「ケチケチするな。高給取りの中忍なんだろ。私はしがない下忍だぞ」 「よく言うぜ…」 シカマルはポケットに手を入れ、持ち金を数え始める。隣ではテマリが、機嫌良さそうに歩いている。それを見ながら彼は、このぶっきらぼうで優しいヤツをもっと知りたい、と思った。 26巻、病院シーン後を考えてみました。あの場面で「元気だしなよ」とか言えないテマリがスキ。父親に対して、ちょっと青い感じに逆ギレる シカマルもスキ(笑)。 25・26・27巻はバイブルと化しているんですが(笑)、病院シーンは特に好きなシーンなので緊張しました。笑顔を見せてはくれたものの、 テマリに対して強くて怖いイメージが刷り込まれてるシカマルが、彼女の持つアンバランスな魅力に気がつく、という感じです。 |