珍しく親子の休日が一致した日。 シカクとシカマルは縁側でのんびりと碁を打っていた。ぽかぽかとあたたかい日射しが、否応なく眠りに誘う。 「ふぁ…。おい、オヤジ。あんま長考してっと、オレ寝ちまうぞ」 シカマルはあぐらをかいた足に肘をついて言う。シカクは腕組みをしたまま、次の手をかれこれ十分ほども考えているのだ。 「急かすなよ。今、いい手が浮かびそうなんだよ」 …ったく。そんなこと言っていい手だったためしがねーじゃねェか。 シカマルは口に出さず、心の中で毒づく。父親だから、威厳とやらを一応は尊重してやっているのだ。 「そういえば、あの子大変だな」 碁盤の目に視線を落としたまま、シカクはふいに言った。 「あの子って?」 意味が分からず、シカマルは問い返した。 「テマリさんだよ。次の風影に選ばれたんだろ?」 「はぁ!?」 まさに寝耳に水。シカクの発言に、思わずシカマルは身をのりだす。 「…おまえ、知らなかったのか?」 シカクが驚いて顔を上げた。 「知らねェよ。先週会った時だって、そんなことひとことも…」 言ってなかった。いつも通りのテマリで、砂の里の使者として任務が終わると、シカクに薬学の勉強のための資料を借りに来て、帰っていった。あっさりと。 「そうか。上忍連中の会議でそんな噂が流れてたからな。ほとんど決まったようなもんなんじゃねェか」 「ふーん…」 シカマルは生返事を返す。 風影、か。 テマリなら適任だと思う。前風影の長子だし、責任感が強くて冷静だ。実力だってかなりある。若いことを除けば、風影の名にさほど遜色はない。未熟な部分は、老練な幹部たちがバックアップするのだろう。 至極まっとうな決定。しかし、シカマルは眉根を寄せた。 あいつが風影になったら、もうあんまり会えなくなるな…。 そう思うと、すこし憂鬱だった。 テマリが砂の里の象徴として、“風”の一文字を冠する。そうなれば、大名との折衝や里の運営に追われ、気軽に出歩くことは許されない。ましてや、木ノ葉の中忍の端くれでしかない自分が、個人的に会う機会などあろうはずもなかった。 急に、テマリは手の届かない場所へ行ってしまう。いろんな想いを、置き去りにして。 なんだよ。ひとことくらい言えよな……。 シカマルは指に挟んでいた黒い碁石を、ぎゅっと力を入れて握った。 次の日、本部の上階へ続く螺旋階段を、シカマルは忍服のポケットに手を入れ、ゆっくりのぼっていた。彼にやる気が見えないのはいつものことだが、今日は普段よりほんの少し足取りが重い。本人も気づかないくらいに。 放射状に伸びる段の途中で、シカマルは足を止めた。ふぅ、と大儀そうにひとつため息をつき、上げかけた足を止めて下の段に置く。建物の外に目をやれば、遠くまで木ノ葉の街並みが広がっている。見慣れた風景だ。 オレは火影ってガラじゃねェし、そんなもんになれるわけもねェしな…… 我ながら可笑しかった。どうしてもテマリと同等になりたいのだろうか。 「しょうがねーよな……」 小さくつぶやいた時、上の階でパタンと扉の閉まる音がした。コツ、コツ、コツ。規則的な足音が、こちらの方へ下りてくる。シカマルははっとした。木ノ葉の忍は、普段から訓練の為に足音を殺して歩く。この建物で足音を立てるのは、木ノ葉に属さない者だけだ。敵意のない証拠として、自分の気配を秘さず、足音を立てて歩くのが暗黙の了解だった。 思わずシカマルは、視線を上へ投げる。 ふわり。淡い紫の帯が、上から吹き下ろす風にさらわれて、先ず視界に入ってきた。 会いたいような、会いたくないような。 喉の奥に苦みを感じて、シカマルは一度視線を逸らした。 コツ、コツ、コツ。 「おっ」 相手の方が、先に声をかけてくる。 なるべく自然に、と自分に言いきかせながら、シカマルは顔を上げた。 「奈良シカマル。なにしてんだ?こんなとこで」 テマリが、書簡用らしき細長い箱を抱えて立っている。 「そりゃこっちの台詞だろうが。ここは木ノ葉の本部だぞ」 シカマルは苦笑しながら、三段上に居る彼女を見上げて言う。 「ああ、そりゃそうだな。私は例によって連絡役だ」 テマリは思い出したように笑って、さらに一段下った。 シカマルは彼女が持っている朱塗りの書簡箱が気になる。あれは多分、かなり畏まった文書を遣り取りするときのものだ。ということは、次代の風影自身が就任書を火影へ届けにきたのだろうか。 「どうした?今日はいつもにましてぼーっとしてるな」 テマリはほほえみながら、シカマルと同じ段にトン、と飛んで来る。まだほんの少し、彼女の視線の方が高い。 「……おまえ」 緑の瞳をじっと見つめて、シカマルは口を開く。 「風影になるのか?」 その問いかけに、ぴたりとテマリの動きが止まる。驚いたように目を丸くしたあと、 「その話か」 と言って、彼女は一度ゆっくりまばたきをした。シカマルは鼓動が少し早くなるのを自覚して、それでも視線を外さなかった。 「幹部から要請があった。でも、断った」 きっぱりと、テマリは言い切る。 「断ったぁ?」 シカマルは肩すかしを食らって、ただ彼女の言葉を繰り返すしかない。 「ああ。実力を認められたならともかく、血筋だけで決められるのは、本意ではないからな」 「血筋だけじゃねェだろ…」 テマリの戦いぶりを思い出しながら言うと、彼女はすこしムッとした表情になった。 「あのな。私が自分で、まだその器じゃないと分かってるんだよ。幹部連中だってそう思ってるくせに、風影っていう名目が欲しいだけの理由で私を選んだんだ。そんなの承諾できるもんか」 いつの間にかテマリは拳を握って、シカマルにせまるほど顔を寄せていた。 「わ、分かったから熱くなんなよ」 その迫力に圧されて、彼は半歩後ろずさる。 オヤジの奴め。何がほとんど決まったようなもん、だよ。話が違うじゃねーか! 聞きかじった話で自分を揺すぶった父親に、シカマルは胸の裡で恨み言を吐く。まったく、人騒がせな。 「じゃ、おまえに決定したって噂はウソだったんだな」 それでも、確認するように彼は訊く。 「そうだ。風影になるなら、実力で選ばれてみせる」 背をまっすぐ戻したテマリはそう言い、一転、自信ありげに唇の端を上げてにっと笑った。 ……ああ、何とも。 「おまえらしいなぁ」 シカマルもつられて笑う。 まったく。この女は。むこうからお願いされてんだから、棚からボタモチだってのに。そういうのはホントに嫌いなんだな。 「それに、我愛羅だって最近は頑張ってるからな。もうしばらく経ってから、公平に決めさせるさ」 我愛羅の名前を口にしたとき、テマリはうれしそうだった。彼女が笑みとともに風影の座を譲るのは、おそらく彼ひとりだろう。 「あれ?風影の就任書じゃねェなら、何の使いなんだ?」 シカマルはテマリが腕に抱えた書簡箱を指差す。 「今日は、風影がしばらく空位になる代わりに、幹部達が合議で風影の代行を務める、という連判状を持って来たんだ」 言いながら、彼女はもう空らしい書簡箱を振ってみせる。 つまり、就任書と同じくらい重要な文書というわけだ。それなら、使いがテマリであることも、仰々しい箱なのも納得がいく。 「そうか。おつかれさん」 シカマルがねぎらうと、テマリはさっと顔をくもらせた。 「・・・おまえがそんな事言うなんて気味悪いな。さてはおまえ・・・」 「な、なんだよ」 顎を引いて自分をじっとにらむテマリの視線に、自分が気に病んだことを見透かされるような気がして、シカマルはすこし慌てる。 「私が風影になるって聞いて、うらやましかったんだろ!」 テマリはずばり分かった、という表情で、緑の瞳をきらきらさせながら言った。 「だれが、んなめんどくせーもんうらやましがるかっ!」 全然見当違いの指摘に、シカマルは思わず大声で言い返した。 ったく、何にも分かっちゃいねェんだからよ。 「ああ、そっか。それもそうだな…」 テマリはくやしいほどあっさり納得して、引き下がる。 ――――おまえが風影になったら、もう会えなくなると思って嫌だったんだ。 そう素直に言えたなら、きっといいのだろうけど。 そんなふうになるには、きっとまだたくさんの時間が要る。なぜって、彼女には「どうして会えなくなると嫌」なのか、理由まで説明しないといけないだろうから。そして、それを言葉にするのはとんでもなく難しいことだから。 この鈍感女め……。 シカマルは焦れったく思いながらも、テマリの風影就任が留保されたことがうれしくて、ゆるむ口元を隠すように鼻の頭を掻くのだった。 我愛羅が風影になる前に、風影不在期間があるので、こんなこともあったんじゃないかなぁ、と思いました。姐さんは責任感 強そうだから風影に向いてるでしょうし。シカク父はご愛嬌です。いや、シカマルの気持ちに自覚をうながした点では、意外といい仕事した んですかね(笑)? どうも、かみ合わなくて、それでも楽しそうな二人を書くのが楽しいので、甘い二人の話を待っていらっしゃる方には申し訳ないっス…。 足音云々の話は、私の想像なのであんまり深く考えないでくださいまし。 |