「疲れた…ただいま…」 いかにもぐったりした様子で家の扉を開けたシカマルは、玄関の隅に立てかけてある細長く黒い物体に気がついた。 あ、あいつまた来てんのか。 すぐにそれが砂の里のくの一、テマリの武器だと分かる。 サスケ奪還の任務に助っ人として遣わされて以来、テマリは木ノ葉と砂を繋ぐ連絡役のようになっていた。そして何か機会があるたびに、奈良家を訪れているのだ。 その理由は…シカマルの父シカクに会うため。 あの任務の後、病院で薬剤の効果を間近に見たテマリは、薬学の研究が進んでいない砂の里のことを憂い、シカクの元へ薬剤調合を学びにやって来ているという訳だった。 シカマルは、初めて彼女が奈良家を訪れた日を思い出していた。 非番だったシカマルが縁側で父と将棋を指していると、母が来客を告げたのだ。 「秘伝の調合を教えていただこうなどと考えているわけではありません」 奈良家の居間に正座したテマリは、ぴしりと背筋を伸ばして言った。 「基礎で結構です。無学な者ではありますが、何卒お願いいたします」 そう続けて彼女は、シカクに頭をすっと下げる。縁側の方からそれを見ていたシカマルは、なんだかひどく驚いた。 ―――ああ、そうか。こいつ風影の娘なんだよなぁ。 中忍試験の時と多由也と戦った時しか知らない彼には、その時のテマリが別人のように思えた。矜持の高さを感じさせる引きしまった表情。礼を尽くす態度。それは厳しくしつけられ、訓練された者の所作だ。 そして、最初に病院でテマリを見た時から気に入っていた(オレを言い負かしたからだろ、とシカマルは苦々しかったが)というシカクは彼女の申し出を快く承諾し、喜んで教えるよと答えたのだった。 今日も、何か使いがあって木ノ葉へ来たのだろう。持っている武器を必ず玄関に置くテマリの律儀さに感心しながら、シカマルは家の中へと入った。ほとんど同時に、奈良家代々の伝書等が置いてある書物庫の扉が開く。 「いいのよ気にしなくて。今度来た時に返してくれればいいから。ゆっくり読みたいでしょう」 母が背後を振り返りながら部屋から出てきた。 「そう言っていただけると助かります」 その後には分厚く古い冊子を抱えたテマリが続く。 「テマリさんならこっちも教えがいが…あ。あら。おかえりシカマル」 母が気づいた。後ろでテマリがおお、という感じで会釈をする。シカマルはなんとなくその目を見られずに軽く手を挙げて挨拶を返した。 「…ただいま。オヤジは?」 てっきり父と一緒だと思っていたシカマルは訊く。 「父さんなら急な任務で出かけたわよ。それよりちょうど良かった。あんたテマリさんを医療班の本部に連れてってあげて」 「はぁ?医療班?」 「医療班に、うちの伝書の種子の効用をまとめた巻を貸してるの。その中に見せてあげたい項目があるのよ」 母はテマリの方を半分振り返りながらシカマルに言った。いつのまにか薬学の授業は両親の二人体制になっていたようだ。 「めんどくせー、なんて言わせないわよ」 さすが息子の言動を知り尽くした母。心もち目つきを鋭くして機先を制する。 「医療班の本部なら、大丈夫です」 シカマルが答えるより先に、テマリが口を開く。 「え?」 シカマルと母が同時に言った。 「医療班の本部なら、以前火影様に連れて行って頂いたことがあります。場所、分かりますから」 テマリは母に向かってほほえむ。シカマルの視線の先で、彼女の薄めの唇の口角がすこし持ち上がり、やわらかい感じの笑みがふわりと形作られた。 「テマリさんがそう言うなら…いいけど」 母が多少不服そうに後ろのテマリを振り返った時、 「いいよ。オレが案内する」 思わず、シカマルは言っていた。 「おまえ、本当にいいのか?任務帰りなんだろ。気遣うなよ」 いつも通りに扇子を担いだテマリが、隣を歩くシカマルをのぞき込む。 「…かまわねぇよ、別に。そんなに疲れる任務でもなかったからよ」 いや、けっこう疲れたけど。心の中で別の声がする。でもシカマルはそれを無視した。いいんだ。医療班の本部ならそんなに遠くもないし。なぜだかわからないが、自分に言い訳してみたり。 「そっか。悪いな。本当はお前がいてくれた方が話が早いから助かる」 テマリはそう言ってシカマルに軽く手を合わせてみせ、前へ向き直った。 普通に接するようになると、彼女はとてもさっぱりした性格の女だった。大蛇丸の罠にかかって誤解が生じたせいで攻撃的な態度をとってしまったことや、多くの犠牲が生じたことを木ノ葉の下忍連中にも詫びた。かといってサスケの奪還任務に手を貸したことを恩に着せるわけでもない。ひとりで木ノ葉を訪れてはきっちりと連絡役を務め、シカクに薬学の手ほどきを受けて帰っていく。 女はつるみたがるし執念深いし・・・と考えていたシカマルの固定観念を、易々とひっくり返したのだ。 男みたいな性格のやつ・・・だと思う。だが、忍装束からのぞく手足や、ごくたまに見せるやわらかな表情はたしかに女そのもので・・・ うわ、何考えてんだオレ。 シカマルはハッと我に返る。 「そ、そういえばおまえがこの前出した詰め将棋の問題だけどよ…」 動揺をごまかすように、彼は口を開いた。テマリがまたシカマルの方を向く。その緑色の瞳が、一瞬きらりと冴える。 「四手目が難しいんだよ」 シカマルは頭の中に将棋盤を思い浮かべながら続けた。テマリも将棋が得意だと知ってから、たまにお互いに詰め将棋の問題を出して解き合っているのだ。 「あれは香を打つか角を打つか迷うとこだからなー」 テマリがしてやったりの風情で腕を組み、うんうんとうなずく。 「あれって香を成らせるとすると…」 頭の中の駒をシカマルが動かした時、 「テマリさーん!」 大きな呼び声が背後から聞こえて、二人は振り返った。 通りの先からものすごい勢いで駆けて来るのは、つやつや黒髪のオカッパ頭。緑のぴったりツナギが似合うロック・リーだ。 「…探しました。まだいて下さってよかったです!こんにちは!」 テマリの隣まで来て急ブレーキをかけ、びしっと気をつけをする。 「久しぶりだな、ロック・リー」 すこしおどけて、テマリも気をつけの真似をする。 シカマルはやれやれ、と思った。リーの目的は分かっている。「手合わせ」だ。中忍試験やサスケ奪還任務での戦いぶりが知られているテマリには、手合わせの申込みが後を絶たない。木ノ葉に大ぶりの武器を使う忍びが少ないせいもある。さらに、彼女は嫌な顔ひとつせず、時間があれば手加減なしに挑んで来るので重宝がられているのだ。 中でもリーは一番熱心だった。テマリも「ヤツはうちの里にはいないタイプだ」と手合わせを楽しみにしている。 よくそんなめんどくせーことするなぁ… シカマルには信じられない。 「また手合わせをお願いしたいんですが!」 大きな目をキラキラさせて、りーがテマリに迫る。 「あー…と今日はだな…」 「今日はダメだ」 言いよどむテマリの言葉を、シカマルがさえぎった。そして、え?という表情で目を丸くするリーに、 「今日この人は忙しいんだよ」 と言い、彼女の肩を両手で掴んで一歩後ろに下がらせる。 「そうなんだ。今日は医療班に用があってな」 テマリは困ったように笑って背後を指差す。 「そうですか…残念です」 リーは太い眉をこれ以上ないほど下げて肩を落とした。しかしすぐに気を取り直してにっこり笑う。 「また今度お願いできますか?」 「ああ。また今度な、リー」 テマリが背中の扇子に手をかけて言うと、リーはぺこりとお辞儀をし、「きっとですよー!」と言いながら来た時と同様に走り去って行った。 「…暑苦しいヤツ…」 ぼそりとシカマルがつぶやく。 なんでこいつが、他のヤツと仲良くしてんの見るとイライラすんだろ。 単純な疑問が彼の中に湧く。 「ははは。闘い方と同じで、面白いヤツだな」 ぱっと振り返ったテマリの顔が視線のちょっと上に来る。細められる瞳。それを縁取る、目尻にゆくほど長い睫毛。楽しそうに笑う桜色の唇に目が引きつけられて、シカマルは慌てて彼女の肩から手を離す。 まさかオレ、こいつのこと… 何か重い物がのしかかってきたような錯覚で、シカマルは自分の足元に視線を落とした。 嘘だろ…! テマリの闘いぶりは智略に富み、時に豪放。性格はいたって勇ましく、竹を割ったように清冽。 でも…たまにどうしようもなくかわい… 「わわっ!」 胸の裡でつぶやいた言葉を、シカマルは自分の声でかき消した。頬のあたりがやけに熱い。 「おーい。どうした?行くぞ」 すでに歩き出していたテマリが不思議そうに、立ち止まったままのシカマルを振り返る。 「ああ…すまん」 彼はすたすたと歩を早めてテマリに並んだ。その顔には思案気味な表情が浮かぶ。 きっと自分の混乱した感情を誰かに説明したら、それは好きなんだよ、と言われるに決まっている。 なるべく冷静に分析しようと、シカマルは歩きながら理詰めてみた。だが、 …ただ、好き、とは違う気がする。 そんなふうに思った。うまく解析できないのがもどかしい。 「…で、四手目は香を打つことにしたのか?」 好敵手を見つけた時に冴える緑の瞳で、テマリがにっと笑う。それを見ながら、好きの言葉以外で、この気持ちを伝えることはできないのだろうか、とシカマルは考えた。 今は言えないけど…いつか。テマリと視線が同じになる頃には。 だから、早く背が伸びてくれないと困る。 「いや、あれは香を打つと見せかけてだな…」 将棋の指し手としても手強いテマリに、シカマルは説明を始める。 シカマルは気づいていない。好きと単純に言いあらわせない、その感情のほうが厄介だということに。 医療班の本部へと歩きながら、頭の中に描く同じ棋盤の上で熱心に先読みをする二人には、お互いしか見えていなかった。 お題物三つ目。シカマル→テマリで。きっとね、テマリ姐は恋愛ごとに疎いと思うんですよ。そりゃもうシカマルよりも(よりも、って・・・)疎いんです。だからシカマルの気持ちにも 自分がシカマルに傾きかけてるのも気づいてない、と。そんなテマリ姐設定が好きな私の作った話です(笑)。 ごめんねシカマル。君のそんな葛藤に、テマリ姐は全然気づいてなくてさ。がんばれー! ネジヒナよりよっぽど公式設定になりつつある二人は安心だなぁ・・・。 |