13.気づいて…




 里が闇に沈む深夜。慰霊碑に繋がる小道の入り口で、カカシはひとり佇んでいた。
入ることもできず、踵を返すこともできずに。
 先客が、いたのだ。
 墨染めの単衣に、淡い桜色の肩布を掛けている細身の女。夜闇に溶ける黒髪。薄い月がほのかに照らす白い顔。その名の通り、紅を刷いたように赤い唇。
同じ上忍の、夕日紅。
 おそらく彼女以外であったなら、カカシはすぐに声をかけただろう。だが…胃の辺りに、ずしんと重たいものが溜まる。消化しきれない感情。
 紅は不思議な女だ。里で一二を争う幻術の使い手として知られ、その臈たけた美貌に言い寄る男はひきもきらない。しかし彼女は誰にもなびかなかった。誰から見ても彼女に対する好意が明らかなアスマにさえ、同僚の立場を貫いている。
かといって、冷たいわけではない。どちらかというと気さくな方だ。同性であるくの一達に頼りにされているし、何かにつけ大雑把なカカシとアスマの間に在って細かい事によく気がつく。教え子に対しても、訓練は厳しいと有名だが、それ以外でもまとわりつかれているのを良く見かける。子供達は本能的に厳しさの根底にあるやさしさを見抜いているからだろう。
 それでもなぜか、カカシは紅を見るたびに近寄りがたさを感じずにはいられなかった。ある一定の距離までは来る者を拒まず、情を以て受け入れる。しかし彼女の心には鋼の柵があって、その奥には決して立ち入らせない。
 本当はどんなことを考えてるの?
なぜかカカシはそんな事が気になった。他人にかかわりたがるなんて、自分らしくないと分かっていながら。



 無意識のうちに、カカシの足が歩をすすめた。
帰ったほうがいい、と理性が忠告するのを、得体の知れない感情が押し退ける。
 近づいてみて、分かった。紅はかすかにほほえんでいた。慰霊碑の前には不似合いなほど、穏やかな笑み。今まで見たことがない表情だった。
 ああ、まずい。"柵"がない…。
深夜たったひとりで、こんな場所で、紅が裸の心をさらしている。カカシは胃にいっそうの重さを感じた。
 今更後退することもできず、彼はそのまま紅のそばまで歩いていく。そして一度、今夜の薄い月を見上げた。そこに何か、話しかけるための言葉が書いてあるとでもいうように。
もちろんそんなわけもなく、カカシが「よぅ」と口を開こうとしたとき、紅の視線が彼の方を向いた。
 血よりも赤く、ルビーよりも澄んだ冷たい瞳。もう"柵"は元通り。
 カカシは、息をのむ。
紅の最も得意な幻術は敵に恐怖を味わわせるものではなく、夢心地の油断に誘うような類のものだと聞いたことがある。
 たとえ幻術などなくても、男は嵌まり込むだろう。この瞳に抗えるもんか。
何も言わない紅の頬へ、カカシが手を伸ばした瞬間、彼の左目を覆う額当てがぐいっと後ろから引かれた。
「!?」
 バランスを失って、背中がすこし反る。
「どうしたの?写輪眼のカカシともあろう人が」
 背後で、いつもの気さくな声が聞こえる。それと同時に、カカシの前にいた紅がぼわっと灰色の煙になってかき消えた。分身だったのだ。彼はさっと背後を振り返る。
「分身って知ってたよ」
 口ではそう言いながら、心の内で月を見上げた時に術をかけたんだな、と分析する。
「あら、そう。そりゃそうよね」
 紅はたいした疑問もはさまずに笑って、カカシの額当ての結び目から手を離した。
「こんな夜中にお参り?」
背後の紅へ向き直る。
「ええ。ここんとこ夜中の任務が多かったから、眠れなくて」
 そう言って彼女は、慰霊碑の方へ視線をやる。カカシは思わず、彼女が見つめる辺りを目で追った。あまり記憶にない名前がならんでいる。同じ箇所に視線を合わせたふたりを照らす淡い月光を、ゆっくりとたなびく雲がさえぎっていった。
「…好きだった人?」
 すこしの間をおいて、カカシが問う。
「んん…たいせつだった人」
 紅はそう答え、視線の先を白く細い指で撫でる。
「最期まで…好きって伝えられなかったわ…」
小さな声で続けた。
 その横顔はあまりに美しくて、カカシは一瞬幻術かと思ったほどだった。
 遂げられなかった想いは、いっそう鮮やかに人の心に残るはず。
 …ああ、死人には勝てないから…イヤだなぁ。
ふいにそんなことを考えた。
「いつもこんな時間に来てるの?」
 肩布を引き寄せながら、紅はカカシを見上げる。
「ああ。よく目が覚めるんだ」
左目が痛むから。という言葉は飲み込んだ。
 その言葉を聞いた紅はふいに手を伸ばし、カカシの額当ての上にそっと掌を置いた。
「そう。でも早く寝たほうがいいわよ。訓練に遅刻するとまたナルトたちが怒るから」
「……そうする」
 見透かされたような気がして、カカシは紅のほほえみから視線を逸らした。
「じゃ、私は帰るわ。おやすみなさい」
 軽く手を挙げて、紅は背を向ける。
「おやすみ」
カカシが応じると、やっと風が雲を払い、月光が彼女の後ろ姿を浮かび上がらせた。
 ―――ずしん。
 重いのは胃じゃない。胸だ。

 この想いに気づいて…紅。
忍装束の時よりゆっくりとした足取りで歩み去っていく細い体を、カカシは眺める。
 いや。ダメだ。気づかないでほしい。
 浮かび上がっては消える感情の泡。カカシは左手で額当てを覆った。
オレにその硬い柵を取っ払える覚悟ができるまで。死者の思い出のあたたかさの代わりになれる時まで。
 しばらくそのままでいて、紅。
 しんと静まり返る慰霊碑の前、ひとり佇む男の影がすこし、濃くなった。
 


end





 お題もの二作目。カカシ→紅で。カカシ先生がヘタレててすみません!私の趣味です。いつも飄々としてる分、好きになった人には めちゃめちゃ戸惑ってほしいなぁと…。紅先生の設定もまったくオリジナルなので気にしないで下さい。だって紅姐さん修羅場くぐってそうなんですもん。 同じ忍なら、好きな人を失った人も多そうだし。
 次は紅先生側から書けるといいなぁ…。





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