9.この青い空の下




仰向けで逆さまになった視界のてっぺん。縁側の庇からのぞく空は、青く青く澄みわたっていた。
寝起きでかすむ目をこすっても、その青をよぎる船の姿はない。雲さえない。
天人が地球に来るようになってから、見上げる空にはいつも多くの船の往来が見えるのに。
 珍しいこともあるもんだ。
そう声に出さずにつぶやいてから、うつ伏せに寝返りを打つ。
「・・・あいてッ」
今度は小さく声が出る。左脇が疼いたからだ。
似蔵に斬られて応急手当をしていた傷は、鬼兵隊の船の上で大立ち回りを演じたせいで、盛大に開いてしまった。医者を呼んで縫ってはもらったものの、さすがに一日二日では治らない。新八の提案もあって、銀時は志村家で療養していた。
「寝返りはゆっくり!」
庇の先、庭の方から鋭い声がする。
 妙が、物干し台のそばからこちらをにらんでいた。袖をたすき掛けし、手には銀時の着物が握られている。血と埃でドロドロになった着物を、丁寧に洗ってくれたようだ。身ごろは真っ白になり、袖と裾にある水色の模様もくっきりと分かる。
「へいへい」
小さく言って、枕をあごの下に敷く。
色々と後ろめたいことが多く、今日はあまり憎まれ口をたたけなかった。
 怪我して、手当てさせて、出し抜いて出かけようとしたら全部見抜かれてて、でも黙って送り出してくれて、結局傷を増やして帰ってきて。
 あまり思い出したくないのだが、全部自分が仕出かしたことなので仕方ない。
 ぱしん。
小気味良い音がする。
 妙が物干し竿に袖を両方通し、磔のような形に干した着物の衿を平手で叩いている。シワを伸ばし、形を整えるためだ。
そして、傍らに置いた桶から刷毛を取り出す。刷毛の先からは半透明の糊が滴っている。桶のふちを何度か撫で、余分な糊をしっかり落としてから、妙は刷毛を衿に当ててすっと引いた。これで、乾いた後衿立ちが長持ちする。
そのてきぱきと慣れた動作を、銀時は見つめていた。
いつも、着る物は適当にコインランドリーの洗濯機と乾燥機に突っ込んでいるだけだ。こんなふうに仕上げたことなど一度もない。
だが、あの日、玄関に畳んであった着物は、いつもと違ってシワ無く折り目正しかった。きっと妙が出来る限り整えてくれたんだろう。
「そんな、丁寧にやんなくていいんだぞ。どーせすぐ汚れちまうし」
「いいの!きっちりしないと私の気が済まないだけなんだから」
反対側の衿も糊付けしながら、視線を離すことなく妙が答える。目が真剣そのものだ。
 ―――おまえは良い嫁さんになるだろうなァ。
反射的に口からこぼれかけた台詞を、慌てて飲み込む。
 今、俺、何言おうとした?
いや、ならないでしょ。良い嫁になんか。口より先に手が出るタイプだし。というか、口も手も出るタイプだし。しかもすごい怪力だし。料理作ればもれなく暗黒物質だし。確かに、いろいろと気も利いて情が深いところもあるけど・・・
 いやいや。やっぱり鬼嫁だって。
「銀さん、どうしたの?痛むの?」
ぐるぐると回る思いに、いつの間にか眉をひそめていたらしい。気がつくと、妙がこちらに来て、心配そうな顔で覗き込んでいた。
「・・・いや、大丈夫」
「ならいいけど。なるべく動かないで」
そう言って、手にした桶を縁側に置き、その横に座る。ふぅ、と軽く息をついて、たすきを解いた。洗濯物干しは終わったようだ。
 ふいに、風が強くなる。
銀時の視界の中で、妙の横髪が揺れ、耳を隠し、うなじの後れ毛がふわりと浮く。無意識なのか、彼女は細い指を伸ばし、風に遊ぶ髪を梳いた。
 銀時は固着しそうになる視線を剥がし、枕を抱え直して空を見上げる。やはり、青く澄み切った空に船の影はひとつもない。
「今日は船、いねェな」
つぶやくように、口に出していた。妙がこちらを向くのが分かる。
「どこぞのテロリストが港で暴れたでしょう?」
「ああ」
暴れたのはテロリストだけじゃなかったが、敢えて茶々は入れない。
「ターミナルにも爆弾が仕掛けられてる疑いがあるってことで、今日は一日休業して、総点検らしいですよ」
あれだけの派手なドンパチをやらかしたのだから、当然なのかもしれない。天人達にせっつかれて、幕府の各機関も対応に追われているのだろう。
特に、真選組あたりがとばっちりを食ってるといい。
「あいつらもたまには役に立つな」
 銀時の唇から苦笑がもれる。
進む道を分かち、狂気をはらんで変貌してしまったかつての仲間。この世界のすべてを壊すつもりだと、桂に告げたと聞いた。

 ―――次に会う時は、おそらく・・・。

「たまにはこんな空もいいわね」
歌うような明るい声。
気がつくと、妙も空を見上げていた。
「・・・そうだな」
 銀時は、彼女の屈託ない横顔に目をやる。多くのものを失って、それでも誰も恨むことなく、日々逞しく生きている娘も居るというのに。
 浮き草のように生きる自分。息を潜めて再起を図る桂、恩讐を捨てて彼方へ翔けた辰馬。そして、ひとり血の泥濘に留まりつづける高杉。受けた傷の深さで、そんなにも生き方は捩れてしまうのだろうか。
本人を前にしてさえ湧かなかった感情が、今さらながら胸に去来する。それは、寂しさと憤りだった。
 銀時は脇腹をかばいながら、ゆっくりとまた仰向けになる。枕に頭を乗せ、目を閉じた。
「お妙」
「なに?」
「・・・いろいろ、ありがとな」
顔を見ていないから、言える言葉だった。はっと、妙が息を飲む気配がする。
「あと、悪かったな、だまして行こうとして」
口を挟まれると嫌なので、続けて言う。
「どうしたの!?」
 大きな声が、顔の真上から降ってきた。仕方なく銀時は、片目だけ開ける。
「・・・なんだよ」
「銀さんがそんなこと言うなんて。鎮痛剤が変な効き方したのかしら」
心底心配そうに覗きこむ妙の顔が、ちょっと癪に障った。
「うるせーな、人がせっかく・・・」
「アネゴー!アイス買ってきたアルよー」
 銀時の不服な声に重なり、元気いっぱいな神楽の声が廊下の先から響く。戦利品のようにコンビニのビニールを掲げ、こちらへ走って来る。
「姉上、ハーゲンダッツのハニーミルク味、見つけたんですよ!」
すぐ後ろから新八も現れる。だが、横たわる銀時と、その上に屈みこむ妙を見て、二人の歩みは止まった。
「銀さん?姉上?どうしたんですか」
見ようによっては誤解されてしまいそうなほど、銀時と妙の顔の距離は近かった。
「いや、これは・・・」
「今、銀さんの様子がおかしかったの!」
銀時の弁解も、妙の必死な声にかき消される。
「どうしたアルか、銀ちゃん!」
「大丈夫ですか!?」
バタバタと、新八と神楽も寄ってくる。銀時の視界は、三人の顔でいっぱいになった。妙と、新八と、神楽と。それぞれの顔を順番に見ていく。
「しっかりして、銀さん」
「銀ちゃんの好きなあずきバー買って来たヨ。元気出すアル」
「またお医者さん呼んだほうがいいですか?」
銀時は頭上から次々と浴びせられるにぎやかな声に、やがてため息をひとつ洩らし、
「何ともないから、あずきバーくれ」
と、神楽の方へ手を差し出した。










 またしても映画に影響された紅桜篇です。こっちは後日談ですが。
1.縁側で戯れる夫婦っぽい銀妙が書きたかった(そのわりに、甘さほぼ無しだよ!いつものことだよ!)。
2.何だかんだで自分は幸せだなと感じる銀さんが書きたかった。
3.やっぱり恋愛関係には疎いお妙さんが書きたかった。
短いですが、書きたいことはすべて詰め込めた感じです。






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