2.あまい嘘 「・・・なのに、悔しくて仕方ない」 女の子が―――鉄子が、泣いている。 鼻の頭と目元を赤くして、綺麗な涙がこぼれる。 その姿があんまりせつなくて、妙は胸苦しくなった。兄弟を思う気持ちは痛いほど分かる。 並んで座る銀時の膝に置いた手が、ぐっと拳を握るのが見えた。手を包む白い包帯に血がにじむが、今はそれを指摘できなかった。 「さっさと帰ってくれや」 だが、それとはうらはらに、鉄子に放つ言葉は冷たい。 「もう、メンドくせーのは御免なんだよ」 どうしていいか分からないと嘆く彼女には、石つぶてのように感じられただろう。眉根がぐっと寄る。 「おじゃ、ま・・・しました・・・っ!」 鉄子は突き返された封筒を握り、震える声で言いながら玄関の方へ走っていく。妙が引き止める隙もなかった。ガラッ、ピシャッと慌しく表の戸が開け閉めされる。 銀時は振り返りもせず、和室の方へ戻っていく。 半分は包帯に覆われたその背中を、妙はじっと見つめた。 ―――ああ、この人は行くんだ。そう決めたんだわ。 彼女は、気づいてしまった。理由はなかった。ただ直感した。 銀さんは決着の場に行くと決めたんだ、と。 そこに死の危険があるとしても、己の信義を通すために行く。それが彼の生き方だから。 ・・・だけど、心配する私のために嘘をついてくれたんだ。 いつもの偽悪趣味とは違う。あれは、嘘だ。 でも銀時は、それを悟られないようにしている。妙の心配を分かっているから。 少しの間とはいえ、女の子にきつい言葉を浴びせて、つらい思いをさせてさえも、それを慮ってくれた。言った自分だって、つらかったに違いないのに。 視線を外し、妙は立ち上がった。 玄関脇の納戸へ入る。押入れを開け、下の段の物入れから黒い上着とズボンを出す。着る物の在り処は、新八が教えてくれた。 妙は一旦それを玄関の板間に置き、風呂場へ向かう。戸を引くと、中には銀時の単衣が竹竿に吊り下げてある。熱い湯を入れて蒸気を当てた後、叩いて干したので皺が取れていた。 単衣も他の衣類と一緒に物入れにあったのだが、丸めて詰め込まれていたので皺だらけだったのだ。昨夜銀時のズボンの替えを出した時、我慢ならずに、取り出して干しておいて良かった。 妙は武家の娘だから、戦場へ向かう侍には雄渾としていてほしかった。銀時の尊い心根に見合う格好を。それが自分にできるささやかな助力に思えた。 妙は単衣も慣れた手つきで綺麗に畳み、玄関に戻って重ねた衣類の上に置く。 そして、血を拭いて新聞紙を詰めておいた銀時の黒いブーツから、丸めた新聞紙をひとつずつ取り出し始めた。川の水を吸った紙のインクが少し指に移る。 その手が、ふと、止まった。 インクの黒が、一瞬赤く見えたからだ。 ほとんど同時に、昨夜の血まみれの銀時が脳裏によみがえる。新八からひどいケガだとは聞いていたが、単衣には白いところが残らないほどで、妙は自分の血の気さえ引いた。 『大丈夫ですか、姉上』 新八が声をかけてくれなかったら、その場に倒れていたかもしれない。それくらいの衝撃だった。 妙は、死が易々と大事な人の命を奪うことを知っている。父も母も、大丈夫と思った矢先に、命の灯を吹き消されてしまった。 昨夜の銀時にも、間近に死が這い寄っていた。 傷から流れる血はもう止まらないのではと恐れさせるほどで、押さえても押さえても手ぬぐいや包帯を赤く染めた。助かったのが本当に幸運だった。今日起き上がって喋っているなんて、ほとんど奇跡だろう。 行かないで、と素直に言えたら楽なのだろうか。 泣いて足にすがれば、思いとどまってくれるだろうか。 送り出そうとしていた気持ちが、萎える。 気がつくと、手が細かく震えていた。 ただ、銀時を失うことが怖かった。 勝手気ままな太平楽で、浮薄なように見えるけれど、ちゃんと新八や神楽を守ってくれる人。銀時がそばに居てくれるから、皆で・・・妙も、笑っていられる。やっと見つけた安らげる場所。 なぜそんなふうに感じるのか、この想いが何なのか、今は考えたくない。ただ、怖いのだ。 新ちゃんと神楽ちゃんのことは、真選組でも他のお役人にでも頼むから。何なら私が代わりに行ったっていい。だから銀さんはどこにも行かないで。ここにいて。 心の中でならスルスルと言葉が紡げる。 しかし一方で、それを本人にぶつけることができないことも、痛いほど自知していた。 なぜなら、そう言えば銀時が苦しむから。 苦しんで嘘をついてくれた人に、更なる苦痛を与えることはできない。 それこそ愚鈍だ。妙の信条に反する。 手の震えが、止まった。 信義を通そうとしている人には、誠で応えよう。泣き言も、いってらっしゃい、とも言わずに。ただ信じて待とう。銀時と皆の帰りを。 妙は唇を引き結び、残りの新聞紙をわさっと一気に抜き取った。 「・・・だまされてあげるわ」 小さく声に出す。 でも、嘘のお返しに少しだけ意地悪をしますからね。それだけは許して。 視線の先で、雨にけぶる往来を見慣れた傘が遠ざかっていく。 ホントに差して行ったわ、私の傘・・・。 決死の覚悟の人にはそぐわない、のんきなウサギ柄が、むしろ銀時らしいと言えるかもしれない。 二階の手すりに肘をついて眺めていた妙は、銀時の律儀さがいとおしくも切なくも感じられ、気をゆるめれば浮かんできそうな涙を、幾度かまばたきをして封じ込めた。 絶対に無事で帰って来てくださいね。 底抜けにお人よしでやさしい・・・バカなひと。 ひさしぶりのSS。映画の紅桜篇に影響されたのがモロに出てますね。 銀さんがいなくなると「私も困る」とは言えないお妙さんが、あの事件をきっかけに、銀さんの大事さと自分の想いを自覚しはじめる・・・という感じで書きました。 ところで・・・「全然『甘い嘘』じゃねーじゃん!」というツッコミは甘んじて受けます・・・。 |