2.気付かないフリ 今日はキーンと音が聞こえそうなほど、冷え込んでいる。 「早くあったまらないと、死んじまう」 銀時は亀のように首をすくめてつぶやいた。 そして、古びてところどころ朽ちているが、造りだけは立派な志村道場の門をくぐる。 「おーい。お妙ー。開けてくれー」 玄関戸を軽く叩きながら呼びかけた。 「はーい」 奥から、答える声がする。 「その声、銀さーん?」 「そーだよ。寒ぃから早く開けろ」 「………」 妙独特の間が空く。 「…寒いから早く開けてください!」 仕方なく、銀時はやけっぱちに言い直した。 「わかったわ。ちょっと待ってて!」 妙の声が返ってきた。しかし、いつもならすぐにぱたぱたと駆けてくる音が聞こえるのに、今日はまだだ。 しばらく銀時はその場で足踏みしたり、手を擦り合わせたりして待っていたが、一向に妙がこちらへ来る気配はなかった。 その間にも、硬質な寒さが足元から刺さってくる。 「何してんだよ…さみぃっつってんのに」 普段より確実に短くなっている銀時の堪忍袋の緒は、そこで切れた。 礼儀として玄関の鍵が外されるのを待っていたが、縁側の戸がいつも開いていることを彼は知っている。 「もう待ってられん」 大人げなく口を尖らせた銀時は、玄関の生垣の端から庭の方へ身を滑りこませた。 庭の土は、ブーツの下でシャリシャリ鳴る。今朝は霜がたっぷりと降りたらしい。 彼と同じく寒さに凍えている枯れ木の枝を避け、所在なく転がっている庭石を飛び越えて、彼は縁側の木戸の前に来た。 細い窪みに指先を入れ、 「寒いんだぞコノヤロー!」 怒りの叫びと共に、渾身の力で戸を引く。 奥の部屋に、妙が立っていた。 ―――襦袢姿で。 あんまりびっくりして、目が合ったふたりは一瞬言葉を失う。 ちょうど風呂上りだったのか、妙の湿った肌に、真っ白い襦袢がまとわり、体の線を浮かび上がらせて見せる。 「風呂上りなら風呂上りって言えよ!」 銀時は、慌てて背を向けた。 「なんで男の人に、わざわざそんなこと大声で言わないといけないのよ!」 至極真っ当な答えが飛んでくる。 「だから、ちょっと待っててって言ったんでしょ!」 次の言葉は、櫛と一緒に飛んできた。 それは銀時の後頭部に、小気味よい音を立ててクリーンヒットする。 「痛ッ…!」 今は彼の方が完全に不利だ。振り返って投げ返すこともできない。 「すまん。外が死ぬほどさみぃんで、つい」 「まったくもう」 あきれた声で言いながら、妙はすばやく身支度を整えているらしい。しゅっしゅっと、手早く帯を締める音がする。 銀時は少しでも寒さをしのぐため、自分の肩を両手でさすった。 別のことを考えようと思うほど、今しがた見た妙の襦袢姿が鮮明に浮かぶ。 驚いた。 いつも、武家の娘然と正統に着付けられた着物の下には、華奢な女らしい体が隠れていた。 『貧相なケツ』『まな板みたいな胸の女』とからかってきたけれど……実際はそうじゃなかった。 細く括れるたおやかな腰の稜線。決して大きくはないが、やわらかそうに盛り上がった胸。ほんの一瞬で、目に焼きついてしまった。 妙、新八、神楽と、弟妹みたいに思ってきたつもりだったのに、それが覆される。 予感は、あったのかもしれない。 勝気で、何かというとすぐ長刀を振り回す面白い奴。少々凶暴。 その枠にはめて、ずっと彼女に「女」を見ないようにしてきた。 気が付かないフリをする方が楽だったから。 でも、時折、その枠は軋んだ。 妙が秘める芯の強さや、然りげない優しさを感じるたびに、惑う心。触れたくなって伸ばした手を、慌てて引っ込めたこともあった。 そして今、不意打ちで否応なく意識させられる。 これは…。この気持ちは…。 「銀さん」 こんがらがる銀時の心の中も知らず、妙は呼んだ。 銀時が振り返ると、いつも通り、きっちりと着物を着た彼女が膝をついていた。ゆるく結い上げた髪がまだ濡れている。 「ホント、今日は寒いわね。どうしたの?」 戸の隙間から入ってくる風に、眉根を寄せながら妙は訊く。 「コタツが壊れちまってよ。唯一の熱源の定春は神楽に占領されてるし、新八はどっか行っちまってるし」 「新ちゃんなら、今日は親衛隊の会合とか言ってたわよ」 動揺を隠して答える銀時を、妙はどうぞとでも言うように、中へ手招く。 彼はブーツを脱ぎ、縁側から居間へと入った。 部屋の真ん中にはコタツが置かれ、隅には大きな火鉢が据えられている。その上に掛けた鉄瓶からは、細く上がる白い蒸気が見えた。 ほとんどの時間をひとりで過ごしているのに、何時人が来てもいいように、心地良く整えられた部屋。 それは、この道場が賑わっていたという昔の、彼女が持つなつかしい思い出のせいなのだろうか。 「あら」 急に、妙が銀時の方へ手を伸ばす。細い指が、彼の耳たぶを引っぱった。 「な、なんだよ」 「耳、赤くなってる。ずいぶん冷えたのね」 ほほえみながら、妙は指でこする。 「だから、死ぬほどさみぃって言ってるだろうが」 銀時はうるさそうに、彼女の手を払った。 それ以上近寄られたら、耳以外の顔の部分まで赤くなりそうだったから。 「それより茶ァ淹れろ。茶」 鉄瓶を顎でしゃくると、妙は払われた手でぐっと拳を握って見せた。かろうじて、顔にはまだほほえみがある。 「……お茶、お願いできます?お嬢さん」 言い替えると、彼女は何とか拳を下げてくれた。 「今日はおりょうちゃんからもらったお菓子があるの。コタツであったまってたら?」 「そうさせて頂きます」 銀時はいそいそとコタツへ足を入れ、痺れるように冷え切った指先をあたためる。 「ぬく〜〜」 思わず、抜けた声が出た。 そんな銀時を横目に、妙は茶箪笥の前で古風な茶器を用意し始める。 湯飲みがふたつ。菓子用の小皿と木楊枝もふたつ。幾つか並んだ茶筒の中から、鮮やかな朱の和紙で飾られたものを選び、急須に茶葉を入れる。 端正なその横顔を、銀時は片肘をついて見つめる。 ―――なぁ、お妙。 誰かに懸想するなんて俺のガラに合わないから。 もうちょい、気付かないフリさせてくれ。 心の中だけで、彼はつぶやいた。 銀妙お題、最初の話はこれを選びました。 銀さん視点で、ベタベタなシチュエーションのを書いてみたかったんです(笑)。自分の中の、恋心に近い感情を 自覚する銀さんの巻。 私の考える銀妙では、 銀さん→なるべく恋愛感情のからむ関係は避けたいと思ってる感じ。 お妙さん→お父さん亡くしてから、新ちゃんと家を護るのに必死で、ろくに初恋もしてない感じ。 ってイメージです。 |