10.泣かない女




 まだ午前中のその通りでは、人影も少ない。
それもそのはず。ここはかぶき町で夢破れた者達がこっそり通う質屋街なのだ。心情的には、夜陰にまぎれて来たいところだろう。
 一応、開店している店ばかりとは信じられないほど閑散とした道を、眠たげな眼をした銀髪の男がぶらぶらと歩いていた。
「ったく、ご苦労なこったな…」
うんざりしたひとり言は、真撰組に向けられたものだ。
珍しくまとまった金が入ったというマダオに奢られ、朝まで飲み歩いたまではよかった。だがその帰り道、かぶき町の大通りで、真撰組の見知った面子が検問しているのに出くわしてしまった。
 特にやましい事があるわけではない。しかし、奴らに近づけば、やましいことが起こりかねない。
君子危うきに近寄らず、ということでマダオと別れ、この裏通りに帰り道を変えたというわけだ。
少し遠回りになるが、とっ捕まるよりはマシと言える。

心地よかった酔いが、清々しい陽光にさらされて霧散していく。
「灰になりそーだな…」
銀時が目を細めた時、通りの向こうから見知った人影が現れた。
「あら、銀さん」
こちらが声をかけるより先に、大きな風呂敷包みをかかえた妙が目をまるくする。
「どうしたの?こんなところで」
こちらが問いたいことを、また先に言われた。
「…俺は本通りに真撰組の奴らがいたから、回り道だ。お前こそどうした?」
「私はコレ、売りに行くんです」
軽々と、妙は風呂敷包みを掲げて見せる。
「何だ、ソレ?」
「母上の形見の着物よ。先月道場の屋根の修理をしたから、今月は支払いが厳しいんです」
事もなげに彼女は答えた。
「でもお前、形見って…。大事なもんだろーが」
妙のあまりにもあっさりした様子に、銀時の眉根が寄る。
「この先にね、父上の知り合いだった人のお店があるの。父上に借りがあるとかで、質草を預けても、お金を返すまでは売らないでいてくれるのよ」
あの人面倒見だけはよかったから、と妙は苦笑交じりにつけ足した。新八に言わせれば「馬鹿がつくほどお人よし」になるのだろう。
「ふーん…。それで、足りるのか?今月の支払い」
「ええ。後はお店でバリバリ稼ぎます」
一瞬、鋭い刃の如く危険な笑みが、彼女の唇にひらめく。今月は『すまいる』から、魂を抜かれたような顔で出てくる客が増えることだろう。つくづく、店名にそぐわない店だ。
「ソレ、貸せよ。店まで持ってってやる」
銀時は、妙の風呂敷包みへ手を伸ばした。
「いいから…」
と言いかける彼女を制して、ぐいと包みをかかえる。ずっしりとした重さが、銀時の手にかかった。同時にふわりと、着物に焚きしめられた懐かしいようなやさしい香りが漂う。
敢えて抵抗しなかった妙は、小さくありがと、と言った。
「こっちこそ、悪ィな。新八にあんまし給料払ってやれねェから」
並んで歩きながら、ぼそりとつぶやく。
はっとしたように、妙は銀時の横顔をまじまじと見つめた。
「……なんだよ?」
正直な気持ちを吐露した気恥ずかしさで、銀時は口を尖らせる。
すると急に、妙は驚くほどやわらかな表情をした。
「いいんです。そんなこと」
細い指が、銀時の肩を軽く掴んだ。
何かあたたかく心地よいものが、そこから伝わる。馴染みのない感触に、彼は少し戸惑った。顔には出さなかったけれど。
「稼ぎがなくてもいいってのか?」
妙の真意を知りたくて、問う。
「ええ。新ちゃんはね、銀さんのところで、お金を稼ぐよりずっと大事なことを勉強してるんですから」
「何だソリャ」
思ってもみない言葉に、銀時の声がうわずった。
「銀さんに会う前の新ちゃんはね、変に世の中をスネたようなとこがあったんですけど、最近は色んなことに一生懸命になったりして、見てると嬉しくなるの」
妙は、銀時の肩から手を外してほほえむ。
銀時の助けになったり、神楽を庇ったり。そんな弟の変化が、彼女には好ましく映るらしい。
「実際、たくましくなったと思うわ。私じゃ、教えてあげられない事ばっかりよ」
「・・・・・・・」
返す言葉がどうにも見つからず、銀時は黙った。
「だから心配しないで。私は大丈夫。泣きごとは言いません」
妙のいつもの、さっぱりした顔。気負ってるふうでもなく、悲愴な覚悟でもなく。
―――本当に?
さらなる問いを銀時はのみこんだ。何もしてやれない自分に、これ以上を問う資格はない。
かといって、妙の言葉がすべて本心だと信じることもできなかった。
 もう、思い出の中にだけ生きる彼女の母。その形見を何度も手放すのが平気な娘がいるだろうか?
同じ年頃の娘達のように、気ままに着飾ったり、自由に出掛けたりもしない妙。大切なものを守り続けるため、華奢な体に恐るべき胆力を秘めて働いている。それは時として、清廉なほどに。
 なんて、強い女なんだろう。
そう思わずにはいられない。
「あ、着いたわ。ここです」
地味な看板を掛ける小さな店の前で、彼女は立ち止まった。
「ほらよ」
おざなりな言葉とはうらはらに、重い包みをそっと渡す。
「ありがとう」
再び包みを抱えた妙の瞳には、暗にこれ以上ついて来ないでほしい、と願う気持ちが読み取れた。誰だって質屋に物を売るところを見られたくはないだろう。
「じゃーな」
軽く手を挙げ、銀時はくるりと背を向けた。
一呼吸置いて、妙がカラカラと質屋の戸を引く音が聞こえる。
それがぴしゃん、と閉まるのを待ってから、彼は振り返った。


強い女だな、お前は。


我知らず、銀時は独白する。


でも、お妙。もしお前が泣く日が来たら―――。

―――その理由を除けるために、俺は体を張るだろう。


相変わらずの眠たげな表情にそぐわぬ決意をして、彼はまた道を戻り始めた。






『・・・みんな、さようなら』
何度消そうとしても、その面影は銀時の胸に爪を立ててくる。
引き結んだ唇と瞳に光る涙が、決して忘れさせてくれない。
「チッ」
忌々しそうに、銀時は小さく舌打ちした。
「いやなもん見ちまったぜ」
そして、椅子を立つ。
壁に立てかけた木刀のところまで歩き、それを腰のベルトに差し込んだ。
「銀ちゃん!アネゴのとこに行くアルね!」
傍らのソファに座っていた神楽が、弾かれたように立ち上がる。
「・・・大騒動にならねェことを祈ろうぜ」
たいして気にしてもいないことを言って、銀時はニヤリと口の端を上げた。






銀妙お題、ふたつ目。
また銀さん視点。ってどうなのコレ、なんか銀さんが青すぎじゃねェ?これじゃ15歳のシカマル以下じゃん(失礼な)!
現在WJ連載中の「お妙さん結婚騒動編」の決着がなかなかつかないので、妄想にまかせて書いてみました。
お妙さん登場の回をあらためて読み返すと、お妙さんって銀さんに7割くらい敬語なんですよね。やっぱり武家の娘さん だから目上に対する敬意は一応はらってんですな…。気づくの遅いよ、私。
そうなると2.「気付かないフリ」は少々お妙さんがフレンドリー過ぎたかも、と反省しました。
何はともあれ、銀さんはお妙さんの泣き顔見たのがけっこうショックだったんだろうな、と妄想しつつこんな話を書いてみました。






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