Ewige Wiederkunft

−君の抱く永遠の空−






 遠くで、爆発音がしている。
もしかしたらそれはすぐそばかもしれなかったが、ファーレンハイトの耳にはもうかすかにしか聞こえなかった。
崩れ落ちた艦橋の支柱によりかかりながら、脱出艇に向かって必死に走っていく従卒の後ろ姿を見送る。そして、彼は視線を細かく縦横に亀裂の入ってしまった正面スクリーンに移した。そこには少数ながら隊列を整えて遠ざかる黒い艦群が見える。
これでいい、と彼は思い、ゆっくりとその水色の瞳を閉じた。これで終わりでいいのだ。もう無念さは彼の胸になかった。
かすかに、薄い唇がほほえんだように見えた。それは安らかな顔だった。







1.天狼を駆る者

 時は、帝国歴488年末近く。
一年を締めくくるにふさわしい大規模な演習を終えた帝国軍は、首都オーディンに向けて帰還中だった。そんな中、最高司令官ローエングラム元帥の旗艦「ブリュンヒルト」内の広間には、十人ほどが顔をそろえていた。上席には司令官その人が、両脇には双璧ミッターマイヤー、ロイエンタールの両上級大将、その下にはミュラー、ルッツ、レンネンカンプ、ワーレン、ファーレンハイト、アイゼナッハ…など、いずれ劣らぬ名将達がつづく。
 彼らの表情は一様に穏やかだった。鬼気迫る演習の日々を終え、あとは帰着を待つばかりだ。隣席の者と談笑などして過ごしている。
「ローエングラム元帥。ビッテンフェルト大将がクラインヘルム准将を連れていらっしゃいました」
将官の居並ぶ光景に圧倒されつつ、リュッケ中尉が上席の人に告げた。
「やっと来たか。通してくれ」
ラインハルトは、指を組んでわずかにうなずく。先ほどからその二人を待っていたのだ。




 その時からちょうど五時間前、演習も締めくくり近くなって苛烈さが増した頃、不測の事態が帝国軍に起きていた。
大規模な演習を見られる絶好の機会ということで、ほとんど見学に近い形で参加していた幼年・士官学校生と新兵を乗せた鑑群に流れ弾が射来し、それを避けようと混乱に陥ってしまったのだ。艦隊として組んだ経験のないおのおのの艦は連携を欠き、彼らが待機していた宙域の背後に隕石群の通過が起こったことがさらなる拍車をかけた。行き先を見失って、異常接近する艦と艦。
「なにをしているっ。誰か指揮を取れ!」
凍った怒気とともにラインハルトが叫ぶが、周囲の艦隊も容易に近づくことができない。無秩序な艦列に突っ込めば、巻き添えをくう畏れがある。
ついに、なすすべなく衝突する艦も出てきた。ほぼ停止状態で見学していた為に衝突に勢いはなく、爆発は免れたが、連鎖的にそれが起これば最悪の事態になるだろう。
現状に気づいた誰もが歯噛みした時、
「ものすごい勢いで一個艦隊が来ます!」
ブリュンヒルトの艦橋に、通信仕官の驚きの声が響き渡った。ほぼ同時に正面スクリーンへ多数の光点が表示される。
「あれは…“黒色槍騎兵”!」
光点の上に表示された所属艦隊名は、黒色槍騎兵を示していた。一個艦隊とはいうものの、そのひとつひとつの点は他の艦隊に比べて小さい。しかしその分、動きが異常なほど速く見える。
 それからは、見事な寸劇のはじまりだった。どんな方法をとっているのかは定かではないが、混乱を極める艦群の周囲に散った黒色槍騎兵所属の艦は、明確な意志を以てもつれた艦の配置をほどいてゆく。二十から三十隻ほどをひとまとめにして混乱から引きはがし、まとめ上げていく様はスクリーン上で見ても壮観だ。
 わずか二時間足らずで、混乱は収束した。四十を越える艦艇が損傷し負傷者が出たが、幸いにも爆発と死者の発生は防がれた。
「ビッテンフェルトと通信は開けるか」
ラインハルトはまだ感心したように正面スクリーンを見たまま訊ねる。通信仕官は慌てて帝国一の猛将に向けて呼信を打った。
「ビッテンフェルト!」
「はっ」
スクリーンに敬礼をしたビッテンフェルトの上半身が映し出された。その口元には、してやったりの笑み。それが彼の不敵な顔によく似合う。
「学生と新兵の統率、ご苦労だった。あの艦隊は別動隊のようだが、誰が指揮を?」
「はっ。あれは我が黒色槍騎兵の後方別動艦隊司令、クラインヘルム准将であります」
「初めて聞く名だな…」
ラインハルトはしばし顎に指先を当てていたが、何かを決めてさっと顔を上げた。
「この後の会合にクラインヘルム准将も連れてきてくれ」
「了解しました。本隊と合流が終了次第、ブリュンヒルトへ参ります」




 プシュッと軽い音がして、広間の扉がスライドする。何とはなくその場に居た全員がそちらへ視線を投げた。
 まず、大柄なビッテンフェルトが現れる。今すぐ鼻歌でも歌いだしそうなほど機嫌のいい表情だ。その一歩後ろを、小柄な人物がついて来た。姿勢が良く、肩から背にかけてのラインがぴんとしている。はるかに大柄な上官と歩幅の長さが変わらない。斜めに分けた黒い前髪。きりりとした眉。目は大きくないが、青とも碧とも言いがたい瞳が印象的だ。
(…女か?)
ミッターマイヤー上級大将の眉が寄る。男にしては線が細い気がする…。
(…女だ)
ロイエンタール上級大将は心の内で直感した。初めて見る顔だな。わが軍にも女性将官がいたのか。
現れたばかりの二人を目で追っていた出席者は、クラインヘルム准将の背中が目に入って疑問を解いた。きっちりと撫でつけてあると見えた横髪は後ろで束ねられ、背中に長く細い毛束が伸びている。
「卿がクラインヘルム准将か」
ふたりが挨拶を始める前に、ラインハルトは待ちきれないといった風に問うた。それはクラインヘルム准将が女性だからではない。彼女が有能だと分かったからだ。ラインハルトが人材発掘に無類の情熱をそそぐことを、その場にいる誰もが知っている。
「はい。黒色槍騎兵後方別働艦隊司令フェルカ・レイゲイル・フォン・クラインヘルムであります。閣下」
女性にしては低い声でフェルカは淀みなく答え、敬礼した。
「見事な指揮だったな。早急に派遣してくれたビッテンフェルトにも礼を言おう」
「ありがとうございます」
やや恐縮しつつ黒色槍騎兵のふたりは頭を下げ、椅子をすすめられて腰を下ろした。その時、フェルカはさっと末席へと移動する。
「しかし、あの混乱をどうやって乗り切った?」
おそらく一番訊きたいのであろうラインハルトの質問に、将官の視線が一気に末席へ集まった。
「それは…非常に原始的な方法です。閣下。わが艦隊の艦艇は小型ですが速度に重点を置いておりまして、それらをとりあえずばらばらに混乱した艦の間に配置して、光信号による誘導をしたのです」
「光信号か」
思わずミッターマイヤーが声を上げる。光信号は大昔に使われていた長音と短音の組み合わせの音信号をすこしばかり進化させたもので、通信機器の発達した現在では実用されていない。しかし、通信関係の基礎として必ず幼年学校の初期に習い、士官学校で復習するのだ。
「混乱のあまり感情的な通信ばかりになっておりましたので、目で見て頭に入る通信方法のほうが有効だと判断しました。彼らは光信号の知識もまだ鮮明に覚えているでしょうから。指示内容も左右上下の誘導など単純なものでしたし」
「卿の艦隊は今でも光信号の機器を使用しているのか?」
ワーレンが不思議そうに訊いた。
「あ…はい。なんというか…」
初めて、フェルカが言葉に詰まる。彼女は一度上官のビッテンフェルトをちらりと見て、
「黒色槍騎兵は突撃が多いので、通信が混乱しやすのです。だから後方の我々は乱戦時に光信号を使うことがありまして…」
一同から苦笑がもれた。ビッテンフェルトがややムッとした表情になる。
「なるほど、それはケガの功名だな」
ラインハルトも笑ったので、ビッテンフェルトは仕方なく頭をかいた。フェルカの表情もほんのすこし緩む。その一方で、光信号による誘導がいかに難しいかという事実に居並ぶ将官たちは気づいていた。指揮する方の連携が崩れたら、共倒れは確実。司令を送る旗艦の指示が的確に行われ、かつ所属艦がそれを誤謬なく実行してこそ成された救出劇だったのだ。日頃から非常時に備えての訓練が積まれている証拠である。
 その後は演習全体の話題になり、いくつかの事項の検討に時間が費やされた。やがてフェルデベルトから直々に首都到着まで三時間という報告が入る頃、
「さて…早々に呼びつけてすまなかった。後は首都到着までゆっくり休んでくれ」
ラインハルトは優雅な動作で立ち上がり、ねぎらうように片手を上げた。それを合図に残りの全員も起立して敬礼を返す。そして後部の自室に戻る上官の後姿を見送った。




 ラインハルトが自室の前まで来ると、ちょうど添乗して来た秘書官のひとりが彼の部屋の前に居た。主席秘書であるヒルダは首都にて執務中だ。
「閣下、ちょうどクラインヘルム准将の資料をお届けするところでした」
人のよさそうな顔つきの秘書官は透明なファイルに入った紙束をラインハルトに渡す。
「他の提督のみなさんからも照会が来ているようです。私も女性の将官は初めて見ました」
にこにこしながらなおもお喋りを続けようとする秘書官を、ラインハルトは「ご苦労」の一言で制し、自室へ入った。執務机に就いてさっそくファイルから紙束を出す。
 表紙には彼女のフルネームと身分証明用の写真が印刷されている。その写真は規定に従って正面からのものだ。長く伸ばした後ろ髪が隠れるため、中性的な印象を与える写真になっている。ラインハルトはそれほどその写真に見入ることもなく、すぐに次の頁をめくった。
 フェルカ・レイゲイル・フォン・クラインヘルム。現在ビッテンフェルト艦隊所属、後方別動艦隊司令、准将。旗艦「天狼」(フェンリル)。伯爵家の生まれ。父はウェルム・ディートマー・フォン・クラインヘルム。帝国軍中将(481年死去)。482年、士官学校入学。485年卒業。ヒルデスハイム艦隊所属・・・
 読み進めていくにつれ、ラインハルトは多少の驚きを禁じえなかった。彼女は士官学校卒業後、なんと二年で八回も艦隊を転属している。しかもほとんどの場合が栄転。これには疑問の余地が無い。彼女は煙たがられたのだ。女性で、しかもあの通り優秀であったなら、さぞかしプライドのみ高い旧貴族の連中は自分の幕僚に彼女が居ることを嫌がっただろう。栄転の名目で体よく追い払われたとみるのが正しい。
 ラインハルトは、フェルカの前所属がメルカッツ艦隊であった事に注目した。つまり彼女は、メルカッツのはからいにより黒色槍騎兵に転属したことになる。あの老練な男は、何を思って彼女を帝国軍ではある種"異分子"なビッテンフェルトの下に送ったのか…今はもう、それを直接問いただすことはできない。
 さらに後ろには、彼女が今まで軍務省に提出して来た提案書等も添付してあった。それを読みながら、ラインハルトは一度フェルカとじっくり話して意見を聞いてみる必要があると確信していた。




 その頃。散会したローエングラム元帥麾下の提督たちは、それぞれの旗艦に戻ろうとしているところだった。
「クラインヘルム准将」
ブリュンヒルトの長い廊下で移動艇の準備を待っていたフェルカを、後ろから呼び止めた人物がいる。
「アー…じゃなかったファーレンハイト提督」
振り向いたフェルカは、慌てて体をファーレンハイトの正面へ向け直して敬礼した。彼はフェルカの目前まで来るとすこし顔を寄せる。
「おみごとだったな。多少ひやひやしたが」
声を小さく抑え、親しい口調で言う。それを聞いたフェルカは首をすくめてみせた。
「指揮してる方は必死で、肝を冷やすヒマもなかったさ」
「おまえ、これから大変だぞ」
「なぜだ?」
「ローエングラム公が…」
片眉を上げて聞くフェルカに、ファーレンハイトが言いかけた時、
「お、なんだ。知り合いか?」
片手に紙コップを持ったビッテンフェルトが廊下に面した部屋から出てきた。
「またっ。ウイスキーなんかもらって来て!」
フェルカが紙コップを指さして言う。辺りにはかすかに燻麦の良い香りがただよっている。
「くそっ。鼻のいいヤツめ」
ビッテンフェルトは慌てて空いている手で紙コップにふたをした。
「閣下、ここはローエングラム元帥のお膝元なんですよ!」
「あー、うるせぇうるせぇ。元帥だってゆっくり休んでくれって言ったろうが」
「飲んでいいとは言っておりません」
一喝するフェルカをビッテンフェルトは肩で押しのけ、あきれた様子で二人を見ていたファーレンハイトの方に寄った。
「で、なに?知り合いなのか、ファーレンハイト。こいつと」
「ああ…実家が隣なんだ」
同じローエングラム元帥の麾下にありながらあまり話したことのないビッテンフェルトに訊かれて、ファーレンハイトはやや驚く。なれなれしいと思いかねないところだが、不思議と嫌な感じは しなかった。
「へー。じゃあ幼なじみか」
ビッテンフェルトが今度はフェルカの方を向く。
「そんなところです」
「やっぱりこいつ小さい頃から男らしかったのか?」
さらにビッテンフェルトがファーレンハイトに訊きかけたとき、
『クラインヘルム准将、クラインヘルム准将』
フェルカが軍服の内ポケットに入れた通信機から声がした。彼女はそれをすぐに取り出す。
「私だ」
『用意できました。5番ゲートです』
「了解。閣下を連れてすぐに行く」
そう応えてまた通信機をしまう。
「さあ、行きますよ閣下。移動艇の用意できましたから」
「俺はファーレンハイトからおまえの昔の武勇伝を聞きたいぞ」
ビッテンフェルトがフェルカにニヤリと笑いかける。
「武勇伝か…」
どれから話そう、といった風情でファーレンハイトは顎に手をやる。その二人をフェルカは交互に睨んだ。
「い・き・ま・す・よ!」
彼女はきっちり区切りながら言い、ビッテンフェルトの後ろ襟をがしっと掴んで引いた。
「うわばかっ。こぼれるだろ!」
また慌てて手でコップに蓋をするビッテンフェルト。
「では、ファーレンハイト提督、失礼いたします」
フェルカはわざとらしいほど丁寧に挨拶し、抗議するビッテンフェルトをそのままぐいぐいと乗艦ゲートの方に連れて行った。
 やれやれと見送るファーレンハイト。オーディンに帰ればまた顔を合わせる事になるので、後を追うのはやめる。
 しかし軍服姿が本当に板についてきたなとファーレンハイトは感心した。ビッテンフェルトはフェルカが昔から勇ましかったと思っているようだが、実は彼の記憶の中で彼女は隣家の"お嬢さま"なのだ。少なくとも父親のクラインヘルム伯が亡くなるまで、彼女は貴族の娘が通う女子校に通い、ダンスとピアノを得意としていたのだから。
 フェルカが突拍子もないことを言い出した日を、彼は鮮明に覚えている。




あれはクラインヘルム伯の葬儀が済んで一月後のことだった。
帝国軍に入って初めての長期休暇を与えられ、ひさしぶりに実家へ戻って来たファーレンハイトは、隣家のだだっ広い庭をさまよい歩いていた。庭だけで彼の家の五つ分ほどの大きさがある。
子供の頃から、彼はよくその庭で兄弟たちと遊ばせてもらった。クラインヘルム伯は周囲の爵家連中と違い、無爵位のファーレンハイト家の息子たちを蔑んだりしなかった。むしろ自分の息子のように可愛がってくれた。彼が話してくれるAC時代の英雄の物語を、わくわくしながら聞いたものだ。
「おーい。フェルカー!」
楡の木が茂る庭の端まで来て呼ぶと、
「ここよ、アーデル」
一番大きな木の根元で答える声がした。
回り込んでみると、制服姿のフェルカが座っている。ファーレンハイトはその正面に腰を下ろした。
「…テレーゼさんが家に来たぞ」
そう言うと、フェルカは困ったように笑った。
「まだ、泣いてた?」
「うん。ずっとうまくいってると思ってたのに、フェルカは違ったみたいって言ってたぞ」
「そっか…」
テレーゼは、フェルカの継母だ。フェルカの生母は彼女が五つの時に病死し、その後クラインヘルム伯はずっと独身でひとり娘を育てたが、6年前に15歳年下のテレーゼと再婚した。今ではバステアンという2歳の弟もいる。テレーゼが言うように、ファーレンハイトの目にも一家はとてもうまくいっているように見えていた。
「でも、それ以外はずっと泣いてて要領えなくて…なにがあったんだ?」
「………」
フェルカは、しばらく言いにくそうにしていた。ファーレンハイトは急かさずに待つ。
「あのね、アーデル」
しばらくして、やっと彼女が口を開いた。
「私、来年士官学校に入るわ」
「ええーーっ!?」
庭の静寂に、ファーレンハイトの声が響き渡る。
「なに?俺の聞き間違いか?士官学校って。俺が出たとこだぞ?」
「その士官学校よ」
「なんでまた…今の学校、大学までずっと上がっていけるじゃないか」
フェルカが通っているフランシスカ女学院は貴族の娘にしか入学を許されない名門校で、黙っていれば幼稚舎から大学までエスカレーター方式なのだ。
「でもそれじゃ、テレーゼとバステアンを守れないの」
「守るって……」
意味が理解できず、ファーレンハイトが口ごもる。
「お父さまの死が、本当に事故だったかどうか分からないのよ」
膝に置いていたフェルカの手が、ぎゅっとスカートを握り締めた。
 確かに、クラインヘルム伯の死は報告書上は武器庫視察中の暴発事故になっている。しかし、歯に衣着せない物言いでブラウンシュヴァイク公一派に煙たがられていた彼は、謀殺されたのだとの噂も絶えなかった。
「だからって何でフェルカが士官学校に入るんだよ…」
「軍に入って、絶対偉くなってみせるわ。お父さまもそうやって私たちを守ってきたんだから」
フェルカの瞳が鋭くなる。父親譲りの、紺碧の瞳。
「同じ目にあうかもしれないじゃないか!」
「そんなの怖がっていられないわ。このままだと、うちはバステアンが大きくなる前に何だかんだ理由をつけて領地を削られるだけだもの。ブラウンシュヴァイク公に負けたくない」
フェルカは怯まなかった。彼女は何よりも、父に代わって継母と弟を守ろうと決心していたのだ。ファーレンハイトはその時、隣家の"お嬢さま"が鋼鉄の意志の強さを持つ女性なのだと初めて知らされた。
「その理由、テレーゼさんに言ってないだろう…」
ファーレンハイトの言葉で、初めてフェルカはしゅんとする。
「だって…言えなかった…テレーゼは絶対止めるだろうから。手続きを全部自分でして、今日初めて話したの。そしたら泣いちゃった。そんなに一緒に居たくないの?って」
帝国軍の士官学校は全寮制である。
「そりゃ泣くよ…あんなに仲良かったんだし。もう手続終わったんなら話せばいいじゃないか。誤解されたままじゃお互いつらいぞ」
ファーレンハイトが肩に手を置くと、フェルカはゆっくりうなずいた。そのままファーレンハイトは立ち上がる。
「行こう。テレーゼさんまだいるだろうから」
「……うん」
制服についた枯れ葉を払って、フェルカも立った。レースで縁取りした白いブラウスに臙脂のジャンパースカート。力仕事を知らない華奢な体。ファーレンハイトの目には、彼女が軍人に向いているとは到底思えなかった。




 しかし、フェルカはその後の数年を耐えぬいた。
湿布と包帯だらけになって休暇から帰って来ても泣き言は言わなかったし、士官学校で艦艇の運用と補給に興味を持つようになってからは自室にこもってシミュレーションを重ね、独自の理論を築いて論文にまとめた。ファーレンハイトが数ヶ月に一度見かけるたび、彼女の体は筋肉質になり、女らしい口調は影をひそめていった。
フェルカは、主席こそ取らなかったが、帝国軍人になるために異議はとなえさせない成績で士官学校を卒業した。だが皮肉な事に、彼女が優秀であるがゆえ、正式な軍人になった後も不当な扱いは続いた。やっと周囲が彼女を認めた頃になると転属。また一から信頼関係を築く。するとまた転属。その繰り返し。だが彼女は黙ってそれに従った。『官位が上がるのはいいことさ』口ではそう言いながら。
「閣下!ファーレンハイト閣下」
ふいに呼ばれて、ファーレンハイトは思い出から引き戻された。副官のザンデルスがすぐそこに来ている。
「お待たせして申し訳ありません。2番ゲートに移動艇の準備ができました」
「分かった。行こう」
身を翻して乗艦ゲートに向かう。
 塵ひとつなく磨き上げられたブリュンヒルトの廊下を歩きながら、ファーレンハイトは新しい波の到来を予感していた。
 今さら彼女に「もうブラウンシュヴァイク公はいないのだから軍人をやめればいい」とは言えない。
 七年前、フェルカは家族を守るために帝国軍を必要としていた。だが今は、帝国軍がフェルカを必要としている。優秀な人材を求めてやまぬローエングラム公が、彼女の能力を見出したのだから…。




+++ 2へつづく +++